こんにちは、あひるさんです。

梅雨らしい雨の土日。そして6月もいよいよ終わり。今年ももう半分が終わってしまった。何かやれただろうかと考えるとがっくりきます。

最近、人生は4,000週間しかないという話を聞きました。言われなくても、50週×80年とすれば誰でも分かる話。とはいえ、4,000というのは数えようと思って数えられない数ではないですよね。そう思うと、身が引き締まる気がします。

相変わらず仕事に追われていますが、そんな中、職場で中学受験について聞かれました。以前の部署の時の女子、といってももう立派なお母さんですが、から。

娘が小学校3年で、友達(ママ友?)からやろうよという声が出ているのだとか。我が家の場合はいつから始めたか?という話です。ちなみに、そのお宅は旦那さんも奥さんも両方とも公立育ちじゃないかと思われる。昼休み、子供達の受験当時のことを思い出しながら会話しました。

まず、愛知の場合、そもそも中学受験必要か問題がありますね。僕なりの結論、必要は、ないですね笑。

なぜ必要ないと考えるか。それは、公立の高校が優秀だから。そして、わざわざ入れさせたいと思うような私学の学校数が少ないから。愛知は公立の高校が優秀なので、公立の中学で普通に頑張って、地域の名門公立高校入れるなら、それに越したことはない気がします。
 

大学や会社で出身愛知の人間いっぱいいます。公立かもしくは高校から私学という人たくさんいました。それらの学校、みんな旧帝から早慶上智たくさんいるとのことでした。

どうしても会社入ってから知り合う人の方が多いので男子の話になるけれど、中学からわざわざ私学に入れる価値があるのって東海くらいで、それ以外、ニンの学校ですら、中学から絶対って感じではない。

医者にしたいなら私学悪くないかもですね。東京の自分の出身校と比べても、やたら医者の子供比率が高い。ニンのサッカー部で総合病院1つできるんじゃないの?と思うくらい。やっぱり世の中どうかしているよ。稼げるのは医者だからみんな医者を目指すってそれはどうかと思う。

じゃ何で自分の子供2人とも中学受験させたのか。それは簡単ですよ。自分もあひる先輩も、ともに中学から私学だったから。はっきりいって、そうじゃなかったら中学受験という選択肢が思いついたかどうかも怪しいです。

それ以外でもいいところはいろいろありますね。多感な思春期に勉強漬けにならなくていいこと、部活や好きなことのびのび楽しめることは大きいとは思いますね。ニンさんは撮り鉄楽しんでいますし、太郎さんは友達と出かけたり学校のスキー学校やら林間学校やら行事という行事は全部参加して楽しくやっています。


それから、オラオラした親や育ちの子がほとんどいないこともいいですね。我が家の地域は名古屋や三河ではなく、かつ地域があんまりいい地域とはいいがたいので、割とこのオラオラ系、マイルドヤンキーがたくさんいる。大半は悪い人たちではないんですが、まあちょっと自分は合わない。地域のスポーツの予選とか、応援席やヤジはまあ汚い。黒のミニバン多いし、何か色選ぶとすぐに黒と金になるし。。。子供もいるし外暑いから黒やめようといっても、そういう声は届きません笑。

根性論、同調圧力、陰謀論、科学的でない、政治的に極端に保守、そういうのと早くオサラバするという意味では悪くなかった。安倍さんがまだ存命だった頃、モリカケの頃でしたかね。「安倍さんは頑張っているのにどうして邪魔するんだよぉ」と言われ、同調させられそうになったのには閉口しました。


近代統治ってのは、権力者の横暴を防ぐために三権分立という考え方を取り入れたんですよね。総理大臣は行政の長であって、行政は法律の執行者。権力者じゃない。立法府で決めた法律を守っていなかったらダメなわけ。


安倍さん邪魔するとかじゃなくて、末端の出来事かもしれんけれど、そういうの放っておいてよしとしてしまうと法律とかどうでもよくなって果ては独裁者誕生しちゃうから、世間はワーワー言ってたんだよ・・・って教えてあげようかと思いましたけれど、ムダなのでやめました。

要は話が合うってことでしょうね。子供達見ていてもそういう感じはします。普通に喋って嫌味になったりしない。休みに海外行ってきたとか、兄貴が東大行ったとか医者になったとか、そういうのにいちいち過剰に反応しないし、気を遣ったり遠慮して会話したりしなくていい。これはいいところだと思う。医者が多いのは、そういう環境にいれば医者になることもまた普通になるからでしょう。

とはいえ、愛知の公立のいいところにいけば一緒だと思うし、無理して中学受験しなくてもいいのかなとは思います。


そう思っていたら、先日ネットの記事でこんなのを見つけました。

中学受験が熱くなるのは「今やピュアに学力だけで勝負できるのは中学受験だけだから」という理由もあるのではという。なるほどなぁ。分かる気がする。


高校受験したことないので分からないのですが、確かに周囲で話を聞く限り、通知表の純粋な点数もあるけれど、課外活動やリーダーシップを取れたり、先生に従順ないい子である必要はある。通知表の点数も、課題の提出状況やその内容もあったりするし。いわゆる、大人びた子供というか精神年齢の高い子供の方が有利になりやすい。

そういう、大人目線のレーダーチャートでしっかり正五角形なり正六角形に大きく数値が出せる子はいいけれど、波形が極端な子の場合はきついってことですね。ウチの子供達も多分そうだな。精神年齢幼いし。会社の子にも同じ説明してくれたやつがいるな。勉強は出来るけれど、協調性がバツ、運動がバツ、反抗心とか、自分の世界に入っちゃうとか。そういう子は評価されにくいのかな。

大学受験ですら、AOが半分とからしい。すごい時代だと思う・・・。テストの点なんてできなくたっていいじゃないか!頑張ってるんだからいいじゃないか!という声が聞こえてきそうだ・・・。


(これまた、やり方が理に適っていないと指摘したら「どうして頑張ってるのにイチャモンつけるんだよぉ」と言われた事件がありました。ニンがやっていたドッジボールの話ね。物事には正しい努力ってのがあって、そうじゃない努力はやる側やらせる側の自己満足に過ぎない。傍目にも分かる実らない努力を美化するのはやり甲斐搾取以外の何者でもない。そういうものを形容するガムシャラという言葉が自分は大嫌いである。そんな事象が多々あったので辞めさせた。サッカーチームはそういうの無くて実に合理的だった笑)

 

そうなってくると、中高の先生という当たり外れの激しいもの、いろいろな人がいる公立のクラス・そこでの生活という当たり外れ、こういった不確実性を下げるために、中学受験で学力だけで勝負というのもわかる気がする。中学3年間という多感な時期にどうなるかという不確実性を下げて、まだ親のコントロールがきく段階で一気にケリをつけようという発想。

 

まあ、ニュースなど見ていても恐ろしいですもんね。悪い同級生に絡まれて殺される、タチの悪い部活で先生や同窓生に追い込まれて殺されるとか。極端な例だけれど、そんなの見ていたらそりゃ不確実性下げたくもなる。現に隣の学区で2-3年前に進路指導がきっかけで中学生自殺している。これも学校や先生はたいしたお咎めなしですからね。ひどいもんです。


子育て全般で、親の関与が大きくなっているのも頷ける。親がリスクや期待値を考えて、子供の人生設計しようとするのね。自分の時と息子たちの時とで、親が伴走する感じの何と強いことよ。だいたいどこのうちも1人や2人しか子供いないですからね。そうすると、成長過程でのリスクが許容できないのかもしれない。自分もそうだけど。

ただ、こうやって何もかも親が舞台を仕立てるというのはどうなのかなと言う気はする。難しさの中で叩き上がった公立育ちの子と、実験室の中でコントロールされたかのごとき中学受験の子とで、その後のたくましさはどうなのかなとも思ったり。・・・ま、中学入ったら入ったでいろいろあるし、大学受験やその後の職業人生など、いくらでもリスクやバラツキはあるから、そんなの関係ないか。

さて、「愛知で小学校3年生の夏で中学受験の塾を考えるのってどうなのよ?」の僕なりの回答です。「早すぎるんじゃないの?!」と言いました。我が家の場合、小4の終わりの2月からでした。いわゆる新小5です。
 

中学受験ならではの独自カリキュラムって、基本小5からですよね。たぶんこれ自体は自分の時代から変わらない。小5の1年がたっぷりインプットで、それを小6でもうひと回ししつつ受験勉強する感じ。あひる先輩に相談したところ、今は新小4(小3の2月)からやるのが増えてはいるみたい、とのことだった。けれども、そういう人が増えているらしいよという程度の話であって、1年早くやるメリットってそんなに無いんじゃないかな、とのことだった。

 

それよりも、「基礎学力ちゃんとすることの方がはるかに大事」とのことだった。これは自分もそう思いますね。学校から帰って先に宿題やるとか、提出物などきちんと自分で手当てするとか、当たり前の手伝い家でやるとか、起床や就寝が規則正しくなっているかなど、そういうことがちゃんと整っていないと、何年生で入れようが一緒だと。そうだと思う。

自分的には、小4まではがっつりやりたいことやった方がいいんじゃないかと思う。小学校の期間、ちょうど6歳から12歳くらいまでの間はゴールデンエイジ。運動能力が一番発達する時期なので、体を思いっきり動かすほうがよっぽど大事だと思う。

我が家の場合、小学校低学年のときにはいろいろな種類の全身運動させることに注力しました。アスレチック、ドッジボール、サッカー、水泳、スキーなどなど。


その道で活躍するかどうかはどうでもよくて、とにかく外遊びや体動かすのが好きになってもらえばいい。結果うまくいきまして、中学高校でも運動好きのまま。何やってもうまい。だから声もかけられるし、そういう輪の中で楽しくやれる。中学受験よりこっちの方が実は残せるもの残してやれたんじゃないかと思うくらいです。


勉強はね、その点難しいんですよ。先取りするにしても限度がある。特にニンなどがそうでしたけれど、精神年齢幼いうちは、難しい本を読んだりとか文章題解いたりとか、難しいんですよね。小学生に筋トレさせる(これもくだんのドッジボールチームがそうだったわけだが)のと同じようなもので、その時期に適切な内容とは言えない。

 

小学校の低中学年から中学受験の勉強をしても、まだ精神の成長が追い付いていなかったら、学習効果もそんなにない。もちろん、塾はその時期にはそれにあった内容を提供するんだとは思うけれど。

 

長くなりました。たぶん、そのお宅も中学受験の道に進まれるんだと思います。僕がどれだけ書こうがただの1事例にしか過ぎない。ハマる人にはハマるし、そうでない人にはそうでない。

 

そのお宅はお母さん武闘派です。そういう武闘派母さんこそが中学受験嫌にならなければいいんですけどね。相当イライラさせられると思う。わからん、ひょっとしたらすごく模範的ないい子ちゃんで、上手いことやるのかもしれない。何はともあれ、中学受験が親子ともに嫌にならなければ、と陰ながら祈るものであります。