こんにちは。あひるさんです。

 

大変ご無沙汰になってしまいました。この間、仕事も忙しかったですが、2月のスクーリングの準備やリポート作成のための読書に明け暮れておりました。

 

大学から、来季の学事予定(スケジュール)が発表されました。あくまでまだ現時点(2月1日更新)だそうですが。一番気になるのは、スクーリングの開講状況です。こちらも同様に開講予定科目であって、開始時期はまだ調整しているものもある様子。

時期を調整しているということは、開講する科目が増えるわけではないのかな・・・。やはり、スクーリングで、できれば昼間ではなく夜間やメディア、週末の東京スクーリング、夏期スクーリングが増えたほうがありがたい。ちなみに、Sメディアとは短期集中のオンデマンド講座らしいです。

 

相変わらず哲学専攻はスクーリングの開講科目が多くない。だから卒業しにくいって言われるんですよね。その分気軽に入学する人も少ないわけだが。

下記の緑色の表が今年度。配置が違うので分かりにくいが、基本大きな変化はない。コマ数もだいたい同じくらい。

今年度と同じなら受講しようと思っていた哲学概論、来年度は昼間しか設定が無いみたい。これがちょっと痛いかな。また、宗教学概論も夜間で後期開催。来年度での卒業や仕事の忙しさを考えると、スクーリングで受講するのは困難だ。

 

単位的には哲学・宗教学・倫理学の概論3つを残す自分が受講できるスクーリングは、6月の倫理学概論だけになりそうだ。すごく残念だな。お気に入りの先生に会えずじまいか。哲学概論、2月のスクーリングで受講すればよかったか。(結果的には受講しなくて正解です。今東洋思想史Ⅱのスクーリングで死んでます)

 

来年度は大学4年生あるあるで、基本 大学に実際に行くのは卒論相談だけになりそうです。卒論相談Webでもできるから、それですらWebで完結してしまいそうです。モチベーション下げないようにするのが大変だ。やっぱり、実際にリアルで授業受けると触発されるものがありますから。

 

まだスケジュール確定していないとのことなので、哲学概論が(2月とかより前に)スクーリング追加されることを祈ります。

 

 

さて、目下2/5~11は、2月スクーリングであります。すでに述べてもいますが、今回は東洋思想史Ⅱを受講しております。講義内容のSNSなどへの転載を固く禁じますと非常に何度も言われているので、書ける範囲で書こうと思う。

 

テーマは竹林の七賢。テキストはかもしゅう(科目修得試験)と一緒。特に参考図書の指定はなかったが、もう行動としてすっかりクセ付いてしまったので図書館へ借りに行く。名古屋市の鶴舞(つるまい)にある名古屋市中央図書館。

名古屋市内には大きな公園がいくつもあって、のびのびしていていいですね~。ここ鶴舞(つるま)公園一時はポケモンGoをやる人たちが大量に出没してニュースになったこともありました。

 

借りてきた本はこちらです。『世説新語で読む竹林の七賢』は2019年の本。最近出た本で、かつ竹林の七賢をがっつり取り上げた本。解説も分かりやすいし、内容も面白い。とってもいい本だと思う。本当なら買ってじっくり読みたいところ。

 

竹林の七賢ってそもそも何よ?という話ですが、三国志で有名な魏から晋に至る頃の7人の思想家たちのこと。儒教を重んじた漢王朝が滅んで、魏もまた司馬氏の専横にあって晋へと時代が移っていく。そんな政情不安定な社会にあって、老荘思想を軸に俗世間から離れて自由な生を全うしようとした人たちのことです。

 

具体的には、阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)、山濤(さんとう)、劉伶(りゅうれい)、阮咸(げんかん)、向秀(しょうしゅう)、王戎(おうじゅう)の7人。竹林の…と言われるのは、首都である洛陽の竹林に7人が集まって、酒を飲みながら清談(老荘思想を題材とする哲学的な議論)を行ったとされるから。とはいっても、例にもれずそんな7人がお花見のごとく実際に集まって飲み食いしたわけではないらしい。

 

ちなみに、竹林の七賢が取り上げられているのが『世説新語』という中国の南北朝時代の書物。職場の中国人の方に「竹林の七賢知ってる?」と聞いたら「知らん」と言っていた。師範大学出の人ですが、そんな人でも知らないってことは、中国でもそこまでメジャーじゃないのかも?

 

この7人には、政局にあって権力者にこびへつらう人たちを白眼(これも竹林の七賢から生まれた言葉)視し、老荘思想に憧れて自由な生を謳歌しようとしたところに共通点はある。しかしながら、実際にそれが実現したかどうかや、晋の政権とうまく付き合えたのかどうか、はたまた哲学的思想の深浅についてもだいぶ差がある。

 

で、それぞれの人がどんな生涯を送ったか、どんな思想を持っていたのかを学ぶことができたわけだが、僕のお気に入りは嵆康です。嵆康一択だね。

 

嵆康は父親が魏の忠臣、魏の曹操の孫娘が奥さんという立場。身長も高くてとても優秀な人だったのだが、世渡りは下手だった。老荘に憧れはするのだけれど、魏から晋に移ろうとする時代の中で、上手く立ち回ることはできなかった。直情の士で、思ったことを公然と態度や言葉に表してしまうんだよね。

 

権力者である司馬氏が後ろ盾にいる有名な武将の鍾会が来訪した際、露骨に無視したり。身の危険が迫って、同じく竹林の七賢の一人である山濤が彼を助けようと晋の役人に推挙するも、断ってさらに山濤に絶交の書を送る。しかもその絶交の書の中身は、魏から王位を簒奪しようとする司馬氏を痛烈に批判する内容だったり。

 

老荘に憧れはするのだが、やはり魏王室への忠誠なのか、それとも倫理的な正しさへの固執なのか。こんな調子ではとても乱世で命脈を保つことは難しいわけです。最後は友人である呂安の裁判に巻き込まれ、鍾会からあらぬ罪を着せられて刑死するんです。

 

刑死に際しても慌てふためくことはなく、平然としていたという。日頃から清廉潔白で感情を表さなかった、そんな彼を助けようと、太学生三千人が助命嘆願したそう。清廉潔白で感情を出さないのは表面上の話で、内面は激しかったわけだ。このあたりがまた、老荘に憧れるといいながらそうはなれない人柄を感じさせる。阮籍のような乱世を生き延びた他の七賢や、中国の歴史に残る大人物というのは、えてして「表面上はチャランポランに見えるのだが、実は深い老荘的なものの体現があって処世する」という感じだから、まさに逆を行く感じ。

 

でもな、何かこう、優秀な人の世渡り下手というのは、哀愁を感じさせるものなのよ。頭ではそうしたほうがいいのは分かっている、しかしそうはなれない。外の人から見れば、「馬鹿なやつだなあ、もっとうまくやれよ」と思わないでもない。


けれども、その人なりの正しさを貫いて、不器用に生きているって、そんな生もありなんじゃないかな(嵆康は生き永らえなかったけれど)。正しさをひたすらに貫けば人生棒に振る、時に命にもかかわる、けれどそのことに尊敬すら覚える。つい保身から周囲に迎合して上手く立ち回ることばかりの人間一般として、彼の姿には哀愁、寂寥、そんなものを感じずにはいられない。

 

東洋思想史Ⅱ、まだ授業は終わっていません。次の資料も用意しました。

これからじっくり読みたいと思います。しかし、東洋思想史は西洋とはまた違う、グッとくる点がたくさんありますな。人間やこの世界をどう捉えるかをめぐる思惟であることに変わりないはずなのに、角度や力点の違いをとても感じます。


25年前がちょうど高3だ。漢文を見ていると、東洋思想やりたいと思っていたあの頃の自分が乗り移ったかのようにも感じる。第2第3の青春かもしれませんな笑。

 

 

最後にいつもの学修状況挙げておきますね。今回は前回からの変化点ございません。とにかく東洋思想史Ⅱの課題をやり切って、早いとこ概論系のリポート作成に移らねばです。