こんにちは。あひるさんです。

 

1月も中旬になりました。この時期、僕の会社は年に一番バタバタする予算時でありまして。これと並行して棚卸やら価格改定やらがあるので、とってもバタバタします。組織の変更や人の異動も4月が大きいので、その手前ということでソワソワもしつつです。

 

そんな時にもかかわらず、賀詞交換やら新年会やらでいきなり週4で飲みでした。さすがに土曜日はずっと調子が悪くて、昼過ぎまでボンヤリと過ごし、夕方まで胃のあたりも痛かった。今月もうじき43歳になりますが、確実に体もポンコツになりつつある気がします。胃(なのか分かりませんが)痛は飲み会に限らずずっとあるような気もする。人間ドック、今まで1回も行ったことがない。そろそろ行った方がいいのかもしれません。

 

毎日飲み会ですと、読書が進みません。飲んで読書するは最悪です。ぜんぜん頭に入りません。作業も進まない。ということで、今週はあんまりトピックがない。でも書こう。

 

まず1つ、最近家での話題の1つは能登半島地震です。能登半島までは行ったことないものの、金沢くらいまでなら仕事で行きますんでね。まったく何にも関係が無いとは言えない。

 

あひる先輩(嫁)と話をしまして、ふるさと納税で支援金送ろうという話になり。石川県に送りました。

ふるさと納税サイトを見ましたところ、石川県の個別の市町村の受付窓口がたくさん表示されました。能登市とか珠洲市とか、ニュースでも聞く自治体あります。やっぱり震源の能登市や被害が大きく報じられる市は受け取っている件数も多い。けれども、それ以外にも市町村たくさんあるんですね。

 

能登市とか珠洲市でも良かったのでしょうが、なかなかそこに続くような町村が分からない。そういうところは能登市や珠洲市ほどの支援金は集めていないだろう。ということで、個別の市町村に送るのはやめて、石川県にしました。

 

驚いたのは、他の都道府県の自治体が事務代行として窓口になっていることです。同じ能登市への寄付金なのだが、能登市ではなくぜんぜん離れた県や市が多数代行をしている。被災した自治体が寄付金をスムーズに受け取り、証明書発行といった事務を行わなくても済むようにということらしい。

 

それにしても代行名乗り出る自治体がめちゃくちゃ多数表示されるのだが、これ本当に善意によるんだろうか。他の自治体だってマンパワーには限りがあるわけで、何かしらのメリットがあるから名乗り出ているのではないかと思ってしまう。通常の寄付金の受領だって、民間企業に委託されたりしているわけだから。

 

自分商社にいますし、この世の中はいろいろな業者さんがいて成り立っています。「10,000円寄付したら10,000円がそっくり寄付先に届かないとおかしい!」と思うほど僕は子供ではないですが、できるだけ中抜きされないで役立てられることを祈ります。

 

ああ、自分って素直じゃないなぁ。

 

 

大学関連、ようやく哲学概論の2つ目のリポートを提出しました。今回の参考書さんたちはこちら。これプラス教科書に指定されている図書もある。まあ参考書籍がいつもながら入門書だらけで、その道の人が読んでいるのだとすると恥ずかしい限りだが。

普遍論争について書けというものだった。

 

ここでの普遍とは、「ソクラテスは人間だ」「プラトンは人間だ」といった例文を挙げた時の「人間」って言葉の部分です。この「人間」というのが実在するのか、それとも頭で考えた概念、単なる名前に過ぎないのかという哲学上の論争のこと。

 

この「人間」というのがそれそのまんまで存在なんかしないでしょ、と思いますよね。

 

こんなことがなぜ足掛け1,000年にもわたって論争になるのか、論争の中身はどんなものなのかについて書きました。2,000字しか書けないので、ほんとサラッとしか書けない。。。。

 

キリスト教の教義は、新プラトン主義というのとキリスト教独自の要素とのミックスなので、根っこにはプラトン哲学があるんですよね。プラトンの哲学はよくイデア論って言われますが、真に存在するのは物事のイデアであって、実際に日々我々が見聞きしているような事物はイデアの影に過ぎない。

 

キリスト教における神というのは存在そのものであり万物の創造主である。被造物である人間は神の似姿であるといわれる。人間の魂には神の似姿性が残っているので、自らのうちに神の似姿を見出そうとすることで、神に還帰しうるという。けれども、もし普遍とか神の似姿性といった観念が存在しないのだとすると、神の存在も、人間の救済も、説明苦しくなってしまう。だから普遍は存在してもらわないと困る。

 

アリストテレスの哲学は、そういう感じじゃないんだよね。普遍とかイデアみたいなものが存在することが前提には置かれていなくて、実際に感覚できる個物からスタートする。もちろん、存在のカテゴリーに物事の本質である形相という考えはあるわけだけれど。

 

このアリストテレスの哲学は、ローマ帝国の崩壊、中世に突入してヨーロッパ世界では忘れられてしまうのだけれど、12世紀後半にもなるとイスラム世界を経由して、どどっとヨーロッパに再移入されるようになる。そして、細かくは書かないけれど、普遍は存在するという考え方から、存在しない、名前に過ぎないという主張が現れてくることになるんですね。そこまでは倫理の教科書あたりにも書いてあると思う。

 

今回読んだ本の中では、山内志朗『普遍論争』が一番内容的に濃ゆくて面白かったですね。

中身はレビュアーの方がいろいろ書かれているので。普遍論争もさることながら、「中世ヨーロッパは思想的に暗黒時代だった」といった見方をぶった切る感じのほうが強いですね。かつ、よくある教科書で「アベラール=概念論、普遍は思念すると事物の中に生じるとして、実在論と唯名論を調停した」といった見方は今では誤りだといわれているといった話が面白かった。

 

しかし、簡単ではなかったですね。自分はたまたま西洋思想史Ⅱで中世ヨーロッパに関する授業を受けていたので、そこまで抵抗なく読めた。そうでなかったらこの本もなかなか読めなかっただろうと思う。

 

普遍論争のよくある教科書的な記述は、「オッカムの唯名論が論争に勝り、知と信を分けて考えることに繋がり、ひいては近代を準備した」だけれども、そんな単純じゃないという話、これも興味深いです。なかなか自分の言葉で説明するほどに理解が及ばない。。。関連領域含めて、もうちょっと読み込んでみたいと思う。

 

とりあえず哲学概論のリポートは2通とも提出し終えましたので、次は倫理学概論のリポートに取り掛かりたいと思います。

最初のリポートは義務論と功利主義に関係するもののようだ。ということで早くも参考書籍も用意してある。倫理で卒論書くわけだし、やっつけではなくしっかり中身理解して書きたいと思います。楽しみである。

 

 

最後に、いつも通り学修状況照会貼り付けて終わります。

12月にかもしゅう(科目修得試験)を受けた保健体育講義Ⅰ、同じく12月に完了した英語文学概説のメディア授業、この2つの結果がそろそろ返ってくるはずです。試験の手ごたえはそんなに悪くないですから、楽しみに待ちます。

 

進捗としては、2月の東京スクーリング、東洋思想史Ⅱの受講が決まったことくらいですね。2月5日~11日。東京スクーリングといいつつ、今回ぜんぶWebのオンデマンド授業なんですよ。それが残念。やっぱりライブで講義を受けるほうが頭に入るし、オンデマンドみたいに動画無駄に止めて休憩もしない&最終日にテストやるから、後日リポート提出するよりタイパも良いと思う。

 

哲学概論の2つ目のリポートを提出したので、足元は倫理学概論のリポートをできるだけ早く出すことですね。2月のスクーリングまでにあと3回土日があるので、最低1通、できたら2通出せるように頑張りたいと思います。