こんにちは。


今日からスクーリングの3コマ目がスタートします。いつもながらルノアール様にスタンバイ。


さすがにバテてきました。でもおかしいんですよね。基本9-17時で授業受けているだけなのに、仕事でもこんなにバテるかな?と思うくらいバテバテ。


普段と違うことしているからなのかもしれません。あと2日、もうちょいです。


さて、昨日は哲学演習の2日目でした。


1日目の終わりに、鷲田清一さんの『哲学の使い方』とその箇所の指定があり、明日はこれについて発表と意見交換とをしましょう、とのこと。


1日目の倫理の話とは打って変わり(1日目の倫理の本がとても読みやすかった)、しかも指定箇所がまあまあ分量があったので、読み込むのにはなかなか難儀しました。


準備から発表も、1日目と変わってグループワークでもあり、おじさん的にはとても楽しめました。


内容、結構考えさせられるところありましたね〜。


初日、哲学ってみんなどういうものだと考えているの?という質問あり、それぞれ答えたわけです。


真理の探究とか、本質の探究、よく生きるとは何かの追究、そんなふうに答える。


自分は思考のOSのようなものだと答えました。今の自分の物の見方感じ方って、歴史的文化的に形成されてきたものだと。


とすると、哲学を学ぶことでそのルーツやこれからについて何かしら気がつけることがあるのでは。


ひいては、それが、これからをどう生きるかに何か良いものをもたらしてくれるのではないか。そう思って入学もしたし、ここまでもそれに類すること学ばせてもらっていると思います。


真理や本質といったことの探究はそれはそれで間違っていないし、結果として(?)現代の我々の物の見方感じ方がそういう議論からも影響を受けているのは間違いではない。


しかし、それって哲学の一面であって、他の面もあることを、講読からも議論からも教えてもらったというところでしょうか。


哲学というと、難解な言葉を振りかざすとか、何言っているか分からない議論をするということだと思われがちで、実際そういう側面もあるかもしれないが、哲学がもともとそれを目的にしているわけではない。


カントも、哲学に特別な知識が必要なわけではないし、哲学の関心事は世の中の人たちの関心事と何ら変わらない、と言っているらしい。人は哲学を学ぶのではなくて、せいぜい哲学することを学ぶことができるに過ぎないと。


この鷲田さんの本は、カントの「哲学する」というのがひとつの理想系のように描かれているし、じゃあ「哲学する」と何なんだみたいな話は当然意見交換で出る。


一言で言うと誤解しか招かないような気がしてすごく怖いけれど、あえて言うなら、何か物事について考えていう場のようなものかと。その場は個人に閉じているのではなくて、他者や社会に対して開かれた場だと。


で、まぁ、僕は意地悪なので、こういう論調耳にするとすぐ思うわけですね。だから、意見交換ではイの一番に言わせてもらいました。


こういう、理論を実践に当てはめましょう的な話、学識が現実の問題に対処するんだ〜みたいな話って、おうおうにして薄っぺらいものと紙一重ですよね。感覚的にはわかるのですけれど、この薄っぺらいものとそうでないものって、何が質的に違うんでしょうかね、と。


薄っぺらいって何ですかね?例えば自己啓発本とかかなぁという話に。産学連携とかビジネスに有用な大学教育みたいな話にも薄寒いものを感じること、よくありますよね。


他のメンバーの皆さんも先生も、いろいろアイディア出してくれましたね。こういうのはありがたいですね。


議論の中で、その薄っぺらい/ぺらくない(日本語おかしい笑)を分けるのは、動機じゃない?もしくは有用性ということへの固執みたいなものじゃない?議論反論を許さずに理論を押し付けるようなものじゃない? といった話が。


議論の最中には腹落ちしきれなかったのですけれど、ちょっと時間置いて、ジワジワとそういうことかなぁと感じられてきました。ちょうどその後に記述の試験があったので、そのことを書き倒してきました。


動機というのは参加する人の思惑の部分もあるので見えない。でも、目的という言葉に置き換えたら、これストンと落ちるような気がして。


ちょっと時間も厳しくなってきたのと、手元に本もないのでちゃんと書けなくて申し訳ないのですが、アリストテレスが学問の知的実践の学として挙げているポイエーシス(制作知)の部分があると感じられるかどうかなのかなと。


ポイエーシスに関してはこちらリンク貼りますが、僕の言わんとしていることをサポートする内容かどうかもちゃんと読めていない。こういうの良くないな。


場を設けるからには当然その目的があるわけだけれど、その場に対する目的の持ち方が分をわきまえている、安易に有用性に振れない、目的そのものを内省している、そう感じられる時に、それが薄っぺらいものではないように感じられるのかもしれない、そう思いました。



試験が終わった後は、卒論の相談もしてきました。内容については今日のスクーリングにも関係しますしまた別途。


先生怖いと聞いていた話もぶつけてみました笑。ナメられるくらいなら怖いと思われていた方がマシなので、そういう認識でいいし流布していいよ〜と笑っておられました。


でもマスクだし目元笑ってなかったから十分怖いよ先生。


そろそろ行かないかんですのでこの辺りで。