お仕事でもプライベートでも色んな方々とお話する機会があります。

 

 

先日は会社の慰労会で、アルバイトさんとお話しました。

 

 

なかなか業務のときにはお話できない、普段思っていることをお話し合いました。

 

 

私が感じていることをお話したら、全く同じことを感じていたとのこと。

 

 

言葉で直接確認していなかったことも、心では同じところに引っかかりや違和感を感じていて、他の方も同じことを感じている…

 

 

そういうことがよくあります。

 

 

心を共有できると、お互いに暖かい何かが流れるのを感じ、自然な笑顔が広がります。

 

 

流れたそれは「愛」と呼ばれるものでしょう照れ

 

 

優しい人ほど、人の痛みにも敏感で、同じくらい気遣いができる人の気遣いにも気づいて感謝ができ、愛でお返しできるものです。

 

 

かたや人の心に配慮しない人もいます。

 

 

そういう人は、「自分がすべて正しい」をバシッと押しつけてくるという特徴があります。

 

 

自分の感覚がすべてで、相手の感覚を認めず、その言動を受けた側の気持ちを思いやることはないのでしょう。

 

 

私が大丈夫かなぁと見ていた人々はやはり、「自分の感覚が正義で、あなたは間違っている」という人から受けた言葉で傷ついていました。

 

 

私も同じくそのような方々の言動に傷ついた過去があります。

 

 

思いやりって一番に優先される正義だと感じます。

 

 

その痛みは、真っ当だよということを、まず認識してあげること。

 

 

そして、同じ感性を持つ者同士で共有することで解消される何かがある、ということも感じるこの頃です。

 

 

自分のことしか考えない人が多い殺伐とした人たちの中で、周りへの配慮ができ、優しい言動を奏でられる人たちとの会話は心が喜びます。

 

 

分かる人はちゃんとみているし、ちゃんと感じている。

 

 

この世では慢心したまま、驕ったまま、卑怯なまま・・・でその浅はかさ愚かさに気づけないまま生きていけますが、人の心をつかむことはできません。

 

 

人は無意識にそうやって人の霊格というものを感じています。

 

 

どんなに「私は○○ですごい」「おれさまはすごい」と言われても、人の心は動かないのです。

 

 

 

haru.