熊本から帰ってきて、一週間が経ちました。
日常に戻って、仕事をして、子どもたちの部活の送迎をして、妻とお茶を飲んで——
でもあの「ありがとうございます」が、ずっと頭の中に残っています。
今日は、そのことを書かせてください。
◆ 私は「ありがとう」を言われる仕事をしています
理学療法士として病院で働いています。
患者さんから「ありがとう」と言っていただくことは、日常的にあります。
リハビリを続けて、少しずつ動けるようになって、「先生のおかげです」と言ってくださる。
その言葉は、いつも嬉しい。
でも——
正直に言います。
慣れていた部分があったと思います。
「ありがとう」をいただくことが、日常になっていた。
ありがたいことなのに、どこかで当たり前になっていた。
熊本に行くまでは。
◆ あの「ありがとう」は、違いました
瓦礫を運んで、泥をかき出して、汗だくになって作業をしていたとき。
その家の方が近づいてきて、深々と頭を下げて、言いました。
「ありがとうございます」
たった四文字でした。
でも——
その四文字に、どれだけのものが詰まっていたか。
家を失いそうになった恐怖。
それでも前を向こうとしている強さ。
見知らぬ人間が来てくれたことへの、純粋な驚きと感謝。
全部が、その四文字に入っていました。
私はうまく返事ができませんでした。
「いえ、当然のことをしただけです」
そんな言葉も出てこなかった。
ただ、頭を下げることしかできませんでした。
◆ 「ありがとう」には、受け取る側の覚悟がいる
帰り道の車の中で、ずっと考えていました。
なぜあの「ありがとう」は、こんなにも重かったのか。
一つ気づいたことがあります。
「ありがとう」は、言う側だけでなく、受け取る側にも覚悟がいる言葉だということです。
あの方は、見知らぬ私に、頭を下げた。
プライドも、恥ずかしさも、全部かなぐり捨てて、頭を下げた。
それがどれだけ勇気のいることか。
だからこそ、あの「ありがとう」は重かった。
受け取る側の私が、ちゃんと受け取れていたか、今でも自信がありません。
◆ 振り返ると、私の人生は「ありがとう」でできていた
家に帰って、子どもたちの顔を見ながら、改めて振り返りました。
23歳で競艇選手を引退して、入院していたとき。
理学療法士の先生に「また動けるようになりますよ」と言ってもらった。
あのとき私は、「ありがとうございます」と言いました。
でも今思うと——
あの言葉の重さを、本当にわかって言えていたか。
体が回復していく嬉しさで、頭がいっぱいで、感謝の深さまで考えられていなかった気がします。
海でウェイクボードを教えていたとき、転んでも転んでも立ち上がった妻と出会った。
結婚して、5人の子どもに恵まれた。
妻に「ありがとう」と言うたびに、妻は「え、何が?」と返してきます。
でもその「何が?」の中に、数えきれないほどの「ありがとう」が詰まっているんだと、今は思います。
◆ 「ありがとう」を言える人間でいたい
理学療法士として、患者さんからいただく「ありがとう」。
5児の父として、子どもたちからもらう「ありがとう」。
夫として、妻から、そして妻へ伝える「ありがとう」。
全部、同じ5文字です。
でも一つひとつに、その人の人生が詰まっています。
私はこれから、「ありがとう」を言うとき、少し立ち止まろうと思っています。
この言葉に、どれだけのものが詰まっているかを、ちゃんと感じてから言おうと思っています。
そして「ありがとう」を受け取るときも、ちゃんと受け取れる人間でいたいと思っています。
◆ 熊本で出会ったあの方へ
あなたの「ありがとうございます」が、私の人生を少し変えました。
こちらこそ、ありがとうございました。
どうか、一日も早く日常が戻りますように。
遠くから、ずっと応援しています。🚤