少しおどけた口調で母は私の病室に入ってきた。
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痛い腰をかばい前かがみになった母は安堵の表情を浮かべ、
手術から4日後に私と再会した。
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青春と呼ばれる年代の真っただ中にあった
私に突然襲いかかった病気。
それはひどく私を苦しめ、
大学2年19歳の春には透析が必要な身体にさせた。
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周りの若者がいきいきと生きているのをよそに、
私は透析の機械に繋がれている。
人生の落伍者、そう烙印を押されたように感じた。
惨めになり、卑屈になり、厭世的な気分にさえなった。
自分は普通の人ではない。自分は他人より劣っている。
人にも会いたくない。
病気のことを話したくないから
女性にも積極的になれなかった。
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しかし、
病院に通いながらの生活で次第に変化が。
病気の自分を受け入れると、
凝り固まっていた思考が徐々に融解していった。
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私は多くの人に助けられながら生きている。
家族、医師、病院のスタッフ、友人、
直接会うことはないけれど私に関わる人々。
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当たり前のことが病気になるまでは気づかなかった。
自分は自分の力で生きていく。
そんな驕りがあった。
神様が傲慢な私にお仕置きしたのだろう。
ちょっときついお仕置きだけど。
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人に感謝しよう、思いやりを持とう、
そして前を向いて生きよう。そう思った。
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大学卒業後、
就職したが病気の方は安定してくれず入退院を繰り返した。
仕事もプライベートもやりたいことはあるのに
病気が邪魔をしてうまくいかない。
受け入れたつもりでも病気のことはやっぱり悔しかった。
そんな私に対して母は「移植しよう。
お母さんの腎臓をあげる」とはっきり言った。
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それから私たち親子は数週間かけて
いくつかの検査を行い、いよいよ手術へ。
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「お母さん、恐くないからね」
「これであなたが元気になるなら何の後悔もないよ」
「あなたには未来があるし、お母さんも応援したい」
「あなたを生んだのはお母さんだから」
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自ら身を削ってでも我が子を救おうとする。
母にはただただ感謝の気持ちしかなかった。
一度、手術が決まってから「お母さんありがとう」
と言おうとしたことがあるが途中で遮ぎられた。「
涙が出るから」と。
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2008年12月19日手術当日の朝、
「また元気になって会おうね」母は言い先に手術室へ。
続いて私も手術室へ。
「お母さん、がんばろうね」心の中で伝えた。
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そして手術から4日後にベッド上で
安静の私は母と再会した。
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「お母さんへ。病気で苦しんでいるとき、
いつも側にいて助けてくれたよね。
その小さな身体からあふれる大きな愛で包んでくれました。
お母さんから2度ももらった命、大切にします。
お母さんの子に生まれてよかったです。
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そして報告があります。
僕にも好きな人ができ、お付き合いしています。
その人の名前はお母さんと同じ名前です。
たまたまかもしれませんが何か特別なものを感じます。
いつか紹介できたらいいなと思います。
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これからは親孝行もしたいので
お父さんと仲良く長生きして下さい。
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最後に、面と向かってだと
僕も泣いてしまいそうなのでここで言わせて下さい。
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「お母さん、ありがとう」
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「母の愛は無償の愛。
海より深く大きなもの。」
<こころの辞典より>

これが無償の愛なんだね^^
素敵なエッセイをありがとう。