Cosmic Dance -7ページ目

もしかしたら自分を好きじゃない人は、自分と闘わないといけないのかもしれない。



自分のいいところを言えない人が多いのに驚いている。

中には、謙遜でいわない人もいるのだと思うけど

多くの人は悪いところはたくさん思いつくのに

いいところは思いつかないらしい。



それって、すごく苦しいことなんじゃないだろうか。

自分からは逃れられない。

その自分が嫌・・・・・って、辛いことなんだろうと思う。



自分のどこが嫌なのか、どうしてそう思うのか

そういうことをじっくり見つめていかないと

自分が好きにはなれないのかもしれない。



嫌な自分と向き合うのは、きっと勇気がいることなんだろう。

それは、戦い、といえるのかもしれない。

でも、いつまでも自分自身から目を逸らしていても

求めている幸せや、安らぎは得られないんじゃないかと思う。




外部からもたらされる幸せは、一時的だ。

内部の幸せを見つけて育てないと、本当に幸せにはなれないんじゃないか

と、私は思う。



よくよく自分を見つめると、いいところも悪いところも

ごっちゃに見えてくる。


でも、それでいいんだ、って思えたとき

自分を愛おしく感じられるんだと思う。


いいところも悪いところもある、とても人間的な自分が

この世の中を頑張って生きている。


それだけで自分が愛おしく感じられるようになると思う。




でも、なかなか人は自分に向かい合う決意が出来ない。


嫌な部分を見たくないから、苦しいことを思い出したくないから


でも、それとは逆に、いいところも見えてくるし

楽しかったことも思い出す。



人の考えや記憶は、かなり自分勝手に作り上げられているんだって

じっくり自分の中を探ると分かってくる。


嫌なことを思い出さないように、楽しい思い出も一緒になくしてしまったり

自分の幸せよりも不仕合せに注目してしまったり。




自分が好きになると、外の世界の見え方が変わってくる。


あの人の嫌なところに注目していた自分が

その人のいいところも見えてきたりする。


自分に出来るようになれば、人にするのは簡単だから。




自分自身の輝きを隠したりしないで。

自分自身の輝きに気がついて、きれいだと感じてほしい。



そう思っても、私に出来るのは

ただ、あなたが自分と向き合う決意が固められますようにと

祈ることだけなのだけど。

なんだか落ち着かない日々です。



特にこれと言うことはないのだけど、なんだか自分の意識の下でもぞもぞ動いている感じです。

水面下で何かが変わっているのだと思うけど、まだなんだか分からない。


もう少ししたら分かるかなあ。


こんな仕事をしているのに、癒し、という言葉が嫌い。

スピリチュアル、も嫌い。


愛、はかろうじて大丈夫になった。

でも、慈愛、と言う方がしっくりくる。




チャネリングだかリーディングだか分からないのは

初めはびっくりしたけれど、回数を重ねて慣れてきたし

何か分からない大きな存在みたいなのは感じるようになったけれど

だからって、私は前と同じ人間だし、人より優れているわけでもない。


なんなんだろうか、あの違和感、気色悪さ。



癒し、を多用する人も、スピリチュアルのなんたるかを説き

妙に分かったようなそぶりをする人も

自分の立ち位置は分かっているんだろうか。



癒しというのは自分の自然治癒力に同じか近い。

その人がもともと持っている力のひとつだと思う。

その人のその力を信じ、対等の立場でその力を出すために

助力するのがセラピストであるはずなのに

私が癒してあげちゃう、的な。

あれは何なんだろう。

自分が優位に立ちたいような、そんなセラピストには

私はなりたくないし、関わりたくもない。


スピリチュアル系のヒトにもそういう人は多い。

そういう人を見ると、気持ちが悪い。



もちろん中には、本当に分かっちゃってる人もいるんだろうけれど

上から目線で何かを言われるというのは本当に気分が悪い。


人間対人間である限り、私の立ち位置は

同じ道を歩む同志としての立ち位置でいたいと思う。



疲れた時や助けがいる時に、お互いに助け助けられる

そういう人間同士のつながり以外に、何が必要だっていうんだろうか。


あのヒトのほうが優れているとか劣っているとか

ハイヤーセルフとかローワーセルフとか。

みんな人間で、迷ったり立ち止まったりしながら

それぞれのペースではあっても頑張って生きているんじゃないの。


そこはぬかるんでいて危ないよとか、ここからの景色は綺麗だよとか

そういう風に話をしながら、生きているんじゃないの。



高いところから、あっちへ行けこっちへ行けと指図するようなことを

そこは通った道だから何でも知っているようなこと

そんなこと言ってなんになるんだろうか。




山に登って頂上からの景色がきれいに感じるのは

きっと自分の足で歩いて登ったからだ。

そこからの景色を見るための道中の苦しさや

途中の休憩や、天候が変わったり花がきれいだったり

そういうことを経験するのが生きてるってことなんだと思う。


その経験があるのとないのと。

頂上からの景色は同じ感動をもてるだろうか。



励ましあいながら、時には相手のペースに合わせたりしながら

私たちは同じ道を歩いているんだと思う。


この世の中で、永遠に続くものなんてない


ということはいつも新鮮で新しい空気をワタシに運んでくれますな。




変わってしまうと寂しいものもあるけれど、私は常に変化していたい。

前とおんなじままの自分なんて嫌だ。


変わるときはちょっとしんどい時もあるけれど

その先の新しい自分に逢うために頑張れる気がする。




人が変わるときには涙はつきものなのかもしれないって、よく思う。

悲しくて泣いてるんじゃなくて、辛くて泣いてるんじゃなくて

それはきっと、決別の涙なんじゃないだろうか。


今までの自分にさよならする時、涙が出るんじゃないのかなあ。


なんて、泣いている人を見て思っている。




人が変わるときのダイナミックな、だけれど静謐な

その営みとも言えるような瞬間を

傍で見られることはとても不思議で幸せだなあ。



私が変わるときは客観性なんて持てないので

人が変わるのを見ていると

ヒトという生き物に対する敬意というか畏怖のような気持ちと

その弱さや強さに対する愛おしさを感じる。




変化は進化で、退化することはないんだと

ネガティブな方向へ行くことはないんだと

そう強く実感する。


私もいつも変化をしていたい。