もちろん現代生まれだけど
わたしは古代人感覚で生きているようだ。
プリミティブで生命と自然がとても近くて
他のものとわたし自身の境界線が薄い感じ。
木の側にいれば木の水を吸い上げる力強さを感じ
水に触れれば水に住むものの息吹を感じ
人の隣にいればその人の悲しみ喜びを我が事のように感じる。
そういう世界。
この世界の本物があるのがイデアなら
古代人的なわたしはそれを知ってる感じ
と言ってもいい。
この世はイデアから投射された洞窟の壁に映る影のようなもの、という話があるけど
よく分かる。
そこはすべてが本物で生命が息づくリアルさをもち
喜びと善しかないあの場所がイデアなら
わたしはよーく知っている。
仕事で誰かの深い悩みに一緒に降りていくとき
イデアは膜一枚のところにある。
瞑想やヒーリングで見えない世界に触れるとき
イデアをときどき覗いている。
だから、どんな人も絶対大丈夫で問題ない!
って言い切れる。
セッションを受けて元気になりました!と帰っていくけれど
あなたもわたしと一緒にあの善と喜び息づくイデアに触れたんだよと思う。
なんで名前だけでわたしのことよく分かるんですか?
と聞かれることがある。
古代人だったときはみんな分かっていたと思う。
月を見たときの感動を輪になって分かちあい
阿吽の呼吸で狩や採集をして
虫の知らせを大切にしていた時代なら
あなたのことを、わたしが知っている
それは当たり前だった。
洞窟の中、焚き火をし、食べものを分け合っていた
むかしむかしのわたし達は
今のコミュニケーションよりもっと豊かだったんじゃないかな。
現代で古代人感覚で生きるのは
ときに変人ですみません〜って物陰に隠れたくなる。
けど、古代人であることは結構良いもんだよ
、と胸も張っても良い感じ。
●直感を育てるワークショップ アースワーク講座 5/27