見えてるものはいったい何? | 神様はオレ様!(覚醒への旅路 。。。Part2)

神様はオレ様!(覚醒への旅路 。。。Part2)

神様はオレ様という、当たり前の自分の感覚を新たに
タイトルにしました。

新しき流れの中に・覚醒への旅路というブログで宇宙の原理と悟りについてお話してきました。ニューな続編です。。。

9月にはいりました

沖縄はまだまだ暑いです

今年は少しいつもの年と違いますね~

 

 

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見えているものはそのものなの?

って質問されたら。。。

 

はい、もちろん!

 

って言いたいところですが

じつはいい加減なものなのです

 

 

いくつかの方向から観れるんだけど

例えば目の前のマグカップを眺めてみましょう

 

 

自分から見ているかたちと

下の方から見たかたちはすでに違う形

でもどこから見てもマグカップって知ってるわけで

 

これはよく

他人から見た自分

という話で使うのだけど

 

ほんとうの自分を観てもらっているのかと

いえばいろんな方向から見た外見ですよね

 

 

けっこういい加減なものです

 

 

視覚として捉えてみると

魚の目で見えている世界

蜂の目で見えている世界

わたしたちの目で見えている世界

 

全部ちがいますね?

 

 

これは風景として見ているものも

確かなものではないということ

 

 

 

そして私たちの見てる世界だけみても

たとえば見てるようで見えてないことも

あるのです

 

 

車で走っていて右折禁止の標識が目に入らなくて

捕まってしまった

 

なんてことあるでしょう?

 

 

見てるようで見ていない

 

 

そのうえ

自分のなかで無いだろうという思考があると

見えないということが起こります

 

 

じつは視界に入っているのに

違う色に見えていたり

実際には見えていなかったりする

 

 

 

まぁこんな感じでいろいろと

実際はなにがほんと?

な感じではないのかな。。。。

 

 

 

そしてこの世は幻想の世界

なんて表現よくするんだけど

これはどういうことなのか?

 

 

良く言われるのが

タマシイとして本当の自分からみてみると

この3次元地球では実体があるようでない世界

 

 

自分が見ている視覚的なせかい

そこでは実は自分の内側のものが映し出されている

なんてもいいますね~

 

 

寝ている間に夢みたりすることが

実は見ている夢が現実で起きているいまが

夢のせかい

みたいなひっくり返ってしまった世界

 

 

タマシイは終わることがないので

よ~く考えてみると

それもありなのです