私が太宰治の大ファンだったというのは
下記記事に書いた通りです。
この記事は好きすぎて、
太宰治の生家に行ってしまった時のお話です
何年か前、
太宰治の大ファンの
又吉直樹さんは
何故「斜陽館(太宰の生家)」
に泊まりに行かないのだろうか?
と思っていたら
とっくに旅館業でなくなり(1996年廃業)
現在はあの大邸宅は、国の重要文化財として
太宰治記念館(太宰ミュージアム)に
なっていました。
今から30年以上前(笑)
まだ旅館だった頃、
私は2泊もしました
ちょっと記憶があいまいな所もありますが
覚えている所だけ書いてみます^^
青森県の金木町にある赤い屋根の大邸宅。
太宰治の実家は
【大地主】で、お父さんは貴族院議員。
後を継いだのは長男(後の青森県知事)でしたが
戦後の農地改革でこの大邸宅を手放したそうです。
太宰治の親が旅館業を営んでいたわけではなく
買い取った方が
少し改装して宿泊施設にしたそうです。
(各部屋にトイレやお風呂はありません)
そして
昭和25年から平成8年(1996年)まで
「斜陽館」という名前のれっきとした【旅館】でした
「斜陽館」というのは
太宰治の代表作「斜陽」から採った名称ですね。
親友が一緒についてきてくれました
当時は青森まで夜行列車で行けました。
関西からの旅・・・
それはそれは遠かったです
私は夜行列車の中で殆ど眠れず、
親友は爆睡し
「あー、1週間分の疲れが取れたー」
と言って、
カーテンの中から出てきた時は
心底羨ましかったです・・
青森までも遠いのですが金木町までが
有り得ないほど遠かったです^^;
遠いというか、交通の便が悪すぎ…
今と違って、ネットがありませんから
「この距離なら〇分くらいかな」
なんて
地元の公共交通機関のノリで行ったので
大変な目に遭いました
※私もまだ旅慣れていなくて…
この旅で、鍛えられたのは言うまでも
ありません
田舎ってすごいなーって
はじめて思い知った旅でもありました。
青森の駅についたのは午前中
私はファンデーションのパフを
忘れた事に仰天し、デパートでパフを買って
(デパート内では田舎に来た意識なし)
このまま直で斜陽館なんて勿体無いと思って。
青森駅からバスで10分とかの割と近くの
石川啄木の石碑かなんかを見に行き(合浦公園)
「ふ~~ん」って感じで。
(記憶なし)
一度青森駅かどこかの繁華街まで戻る必要が
あったのですが
またその帰りのバスがなかなか来なくて
1時間に1本あるかなし
「寄り道するんじゃなかった…」
と、しょっぱなから、グダグダで。
で、戻った後にようやく目的地に向けて
バスに乗ったのですが、
このバスがまた、なかなか来ない
20代前半の私が疲労した位だから
ものすごく待った筈。。
大荷物の上、途中まで座れなかった気もします。
結構な距離を乗ったような・・・。
で、最後に「ストーブ列車」に
乗らないといけなかったのに
バスから降りようとすると
タッチの差で乗り遅れ
「まぁ次でいいっか」
と思っていたら、
ぜんぜん来やしない・・・。
1時間に1本くらいだったかと・・・。。
いや、ラッシュの時刻の筈ですが
8月だったのに、外は薄暗く…。
「えー、もう旅館に着くの、真っ暗やん。
遅くなって申し訳ありません。って旅館に
電話した方がいいんじゃ・・・」
と思って、
ストーブ列車の駅前の
公衆電話から電話したのをハッキリ覚えています。
多分、待っている間
駅前の喫茶店で何か飲んだ気がします
で、金木駅で降りて、斜陽館へ。。
歩いて7,8分?
遠くはないけど、目の前でもなかったです
赤い屋根が見えた時に
親友が
「ほら、太宰治の実家やで
泣いてもいいで」
とか
なんとか言っていました
いやいや、泣かないってば
意外と冷静だった気がします。
だって私がドハマリしていたのは
高校生の頃で
20代ではそこまでじゃなかったのですよね。
そう思うと
高校生の時、行っていたらもっと
感動したのでしょうか
「旅にも旬がある」
と思った最初の出来事かも。。
ちなみに太宰治の実家が「斜陽館」という
旅館になっていて【泊まれる】
と
知ったのは、
人間失格かなにかの文庫本の後ろの
「あとがき」か「解説」でした。
当時、そこに白黒で斜陽館の写真が掲載
されていました。
私は
「な、なんですって~
と、泊まれるですって~」
と
大興奮して狂喜してギャーギャー
言っていた記憶があります
いつか斜陽館に泊まる事
が私の秘かな夢でした
関西在住の高校生には青森は
とんでもなく遠くに感じましたね…。
アルバイトも禁止でしたし。。
★追記★
※この記事を書くにあたり、
「斜陽館 泊まった」
等で検索してみましたが
ぜんぜん、ブログとか出てこないのですよ
せいぜい
今存在する「太宰治ミュージアム」について
「昔は泊まれました」
みたいな口コミが出てくる程度で…。
残念
泊まった人の記事、読んでみたかったのに。。
斜陽館が旅館業を終えたのが1996年。
Win95発売翌年。
まだ
ブログなんて存在もしない頃ですからねぇ。
そんなわけで
斜陽館に泊まった事がある方に
この記事が届けばいいなぁ
と願って書く事にしました
その時感じた事が
共有できないって寂しいですね
今当たり前に存在しているネット上のやり取り
ブログなどがあるって
どんなにすばらしい事か・・・
改めて気付いた次第です
②へ続く。
お読みいただきありがとうございました。