私のことじゃありませんよ。昨今の議員さんなんやらの不倫騒動についてです。

 
誤解を恐れずに、いえ、恐れながら、びくびくしながら書かせてもらうと、
 
鬼の首でもとったように大騒ぎし、袋叩きにする「世間」なるものが気持ち悪いです。
 
 
不倫するような人は人間として終わり?
議員である資格も芸能人である資格もなし?
 
私は元々芸能人などのプライベートには全く興味がなく、その人の演じている役が好き、という程度のものです。
福山雅治のガリレオとか、堺雅人の真田丸とか、渡辺謙のLast Samurai とか(古いな)。。
だから別に彼らが結婚しようが不倫しようが離婚しようが別にどうでもいいです。
俳優さんであれば、作品中で頑張っていただければいいです。
 
議員であればどうでしょう。
もちろん人としての倫理観はもっていてほしいと思いますが、
ひと昔の大物議員なんて、腹黒さがにじみ出ていて、もちろん愛人の一人や二人囲っていそうで、、でも党内や国会内での調整能力あるからね、みたいな人ばっかりだった気がします。
税金の私用は許せませんが、別にプライベートで不倫とよぼうが愛人とよぼうがどうでもいいです。いい政策を立案し、通していただければ。それで選挙に当選するならよいのでは。
 
そもそも、
不倫騒動の記者会見って誰に謝ってるのかよくわからない、公開処刑のようなもの。
私はこんな恥ずかしい人間です、って。
 
本来不倫なんてプライベートなことですから、
家族間で解決すればいい話。
それをなぜ関係ない世間が騒ぎ立てなきゃいけないのかが、昔からさっぱりわかりません。
しかも年々騒ぎ方も仰々しくなって、
社会的制裁を加えなければ気がすまないような。
 
 
昔、橋下元大阪府知事かな、不倫騒動みたいなのがあったときに、
いやー妻に怒られましたよー!
みたいな会見で軽い幕引きだった記憶があり、時流にのってる人は違うなあーと思ったのでした。
 
今回は女性ですが、このご時世だと男性でも橋下元知事のように、妻に頭下げましたから〜での幕引きは難しいのではないでしょうか。
 
家族が許しても世間が許しません、
的空気が怖いです。
 
昔の芸能人とか議員の不倫系の報道って、
あーあんな綺麗な奥さんがいても、、とかやっぱり議員になると愛人の一人もいるのね〜
みたいな、あくまでも、他の家庭だってドロドロしてて、大変ね、みたいな覗き見を消費するようなものだったと思うんです。
 
いつからこうなったんでしょう?
ベッキー??
あれから、ゲス不倫、なる言葉がでてきた気がしますが、
いまだになぜあそこまで騒ぐ必要があったのかわかりません。
 
もちろん不倫を肯定するわけではありませんが、
そんなに、みんなで叩くことかな?って思います。
 
今回山尾議員を声高に批判してるような議員に限って自分も不倫してるんじゃないの?とか。もしくは自分は不倫なんてできるほど女にモテないとか。こういう人に限って、名をあげて、ちょっとチヤホヤされるようになると自分も不倫しちゃって同じ溝に落ちていくのです。
 
議員と芸能人は確かに性質は違いますが、
議員だって人間ですからね。
 
不倫=議員として全く仕事をしてこなかったし、これからもできない、
 
というのは違うと思います。
 
自分の家庭を守れないものが、国を守れるか?みたいなコメントをみかけましたが、
一見正論に見えて違うと思う。
 
家庭を守ること と国を守ること は全く別のこと。
 
家庭なんて、ちゃんと働いてお金いれて、上手く不倫だって隠せていれば、誰も傷つかず守れてたわけで。それが建前上でも。他人の家庭が建前なのか、本当にうまくいっているのか、そんなこと誰にも分らないし、家族間でも感じ方の違いがあるはず。
 
国を守るなんて、そもそも一議員ができるわけでもない。それなりに公共に資する法案を通せていれば、それは国を守ることに一役買っているのかもしれない。
 
ゲスゲス、って批判してますが、
わざわざ人を追い回して、ホテルでの写真を撮るカメラマン、
写真を買う週刊誌、
週刊誌を買うただの噂好きピーポー、
不倫する人を批判して、正義の味方気取りで気持ちよくなっているマスコミと、わざわざテレビ局やスポンサーに電話するおじさんおばさん、
なんとなく一緒に批判しなきゃいけない気分になってしまった一般ピーポー

一億総ゲス社会。

アメリカ的ポリティカルコレクトネスがまた日本流の変な形で進化しようとしてる感じがして怖ろしいです。
 

別に不倫を肯定したいわけじゃないんです。


こんなにみんなで叩くのが気持ち悪いだけです。


他人のプライベートをみんなであばいて、
 自己批判させる、
なんて、文化大革命時の中国じゃあるまいし。。


なんてことを書いたら大炎上なのでしょうか。