ようやく2回目。

旅行は独立宣言の地、フィラデルフィアを素通りし、イェール大学のあるNew Haven、そして独立戦争のきっかけとして有名なボストン茶会事件(Boston Tea Party)の起こったボストンへ。

 

第一回では1600年代からイギリスを中心とした地域から、宗教改革によってヨーロッパにもたらされた混乱から、「キリスト教の理想国家をつくろう!」といって逃れてきた人たちが中心となり入植した話をしました。その後、経済的理由をもった人たちも増加し、1700年代(18世紀)半ばには13の植民地が東海岸に並ぶことになった、と。

 

最初は優しくしてくれたインディアンを結局は裏切り、対立し、土地を奪ったのですからひどい話なのですが、まあこの時代は全世界どこでも土地は武力で奪うものだった、ということで、今度はこの植民地においてヨーロッパ諸国の、というかイギリスとフランスが戦ったりします(フレンチ=インディアン戦争、1763年終了)。これはイギリス側の勝利に終わり、ここに植民地の土壌がほぼ完成することになります。

 

足場が固まると、いろんな怒りは本国に向かいますよね。

このころイギリスではすでに議会政治が始まっていました。議会はそもそも税金の徴収の調整のために発達したものだったのですが、ここには植民地の代表はいませんでした。それなのに、植民地にどんどんいろんな税金(印紙、茶などなど)がかけられるのが許せなかったのですね、「代表なくして課税なし No tax without representation」 と立ち上がっていくことになります。理論大好き、原則大好き、原則に合わないことは大嫌いな人たちです。そもそもピューリタン(清教徒)はキリスト教原理主義者ですから。

で、その象徴的な事件がボストン茶会事件。

 

世界史の教科書の注釈にこんなのを発見しました。

「本国政府は、東インド会社の経営難を救うために茶法を制定し、アメリカへ免税で茶を輸出する特権を同会社に認めたので、植民地の密輸商人の利益がおかされた、そこで彼らと結ぶ急進分子が、インディアンに変装して東インド会社の船を襲い、積み荷の茶を海に投げ捨てた事件をいう」

 

ええ、何事もきれいごとだけでは動かないわけです。

 

ということで、ついに1775年に武力衝突が起こり、独立戦争がはじまります。

フランス、スペインの助けを得て1783年にはついにイギリスが独立を承認するに至ります。

ちなみにフランスやスペインが独立側の味方をしたのはもちろんイギリスが敵だからです。

アメリカ独立の思想に共鳴した名士たちもいたわけですが、もちろんメインの理由は敵の敵は友です。このときフランス王はアメリカ独立の刺激を受けてフランス革命が起こり、自らの命が断頭台の露と消えるとは夢にも思わなかったでしょうね。

 

そして今回歴史の教科書を開いて気づいたのですが、独立宣言って独立したときに出されたんじゃなくて、独立戦争を始めるときに出したんですね、1776年。これは名文です、歴史に残る名文。アメリカに住んでるなら冒頭だけでも暗記して損はありません。このころ発達した啓蒙思想の粋を集め、近代民主主義の基礎を作った名文と言えると思います。

オバマ大統領の最後のスピーチでも引用されていました。このパートと建国の父 founding fathers 、ワシントンやトマス・ジェファーソンのことですね、は政治シーズンには覚えておくとよい英語です。

We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

われわれは次のことが自明の真理であると信ずる、すべての人は平等に作られ、造化の神によって、一定のゆずることのできない権利をあたえられていること。その中には生命、自由、そして幸福の追求が含まれていること。

 

あ、もちろんこのAll menの中にインディアンや黒人は含まれてないんですけどね。アジア人なんかも含まれているわけありません。

 

ちなみにこのころ既に南部では黒人奴隷をつかったプランテーションが行われていました。

黒人奴隷の歴史は深く、中世以降はアラブ商人がインド洋経由で奴隷貿易を行っていたそうですが、大航海時代を経て、新大陸が発見され、大西洋航路が開けると、ヨーロッパ諸国によってアフリカの黒人奴隷が新大陸に奴隷として「輸出」されるようになったそうです。

 

中世からずっと奴隷。民族、種族としてそんな悲しい歴史ってあるでしょうか。

もちろん全ての黒人が奴隷だったわけでは毛頭ないですけどね。

 

同じ人間として見れないのも当然だったのでしょうか。

 

イェール大学の話を書こうと思っていたのに、第二回はこの辺で。

次こそはイェールの話を。

 

第一回 そもそもアメリカに来た人たち

http://ameblo.jp/cosettey/entry-12235723563.html

 

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