私には自己肯定感というものがまっっったくありません。
「何かやりたい!」と思っても自分の中の誰かが即座に肩をたたき、
『できるわけないじゃん!』と笑顔でたしなめてくれます。
モノゴコロ付いたころあたり、私は割と活発な子供だった気がします。
絵や工作など何かを作り出すことが好きで、自分を表現することが好きでした。
でも
その「好き」を大っぴらに出すことを母は良しと思っていませんでした。
何か作って、得意げに見せにいくと
「すごいね〜!」「才能があるね〜!」と、必ず褒めてくれました。
でも、その後必ず
「でも、もっとすごい人は沢山いるからね。」
「○○ちゃんは○○ちゃんのままで良いのよ」
「そんなにすごい人にならなくて良いの」
と、言われていました。
私自身が天狗にならぬよう、
母は釘を刺し続けていたのだと思います。
…幼少期から。
その言葉は小学生でも続き、
一人ひとりの個性の差が浮き彫りになる中学生になるころには
私はもっとすごいものを出したくても
出すことが出来ない人になっていきました。
覚えているのが美術の授業。
「漢字一文字を絵で表現してみる」という創作的な課題が出ました。
私はすぐに閃くものがあったけれど、ちょっと奇抜な案でした。
これでいくか、いかまいか…
何を悩む所があるかって感じだけど、
その案を先生に見せる勇気が私にはありませんでした。
結局、かーなーり無難な案を作り、見せに行くと
先生「ありきたりだから、絵の具の色使いで変化をつけたりすしたほうが良いね」
……
なんだか二重に凹む結果となりました。
未だに自分の意見を出すのはかなり苦手です。
けっこうアイデアや策が浮かぶタイプで、出したいのに出せないジレンマで
余計なストレスを抱えることになります…
ちなみに、夫は私とは逆に自己肯定感の塊みたいな人です。
折衝を必要とする仕事をしていることもあり、その塊をガンガンぶつけて活かしています。
一度、私と入れ替えて夫の自己肯定感を体感してみたいものです…
「何かやりたい!」と思っても自分の中の誰かが即座に肩をたたき、
『できるわけないじゃん!』と笑顔でたしなめてくれます。
モノゴコロ付いたころあたり、私は割と活発な子供だった気がします。
絵や工作など何かを作り出すことが好きで、自分を表現することが好きでした。
でも
その「好き」を大っぴらに出すことを母は良しと思っていませんでした。
何か作って、得意げに見せにいくと
「すごいね〜!」「才能があるね〜!」と、必ず褒めてくれました。
でも、その後必ず
「でも、もっとすごい人は沢山いるからね。」
「○○ちゃんは○○ちゃんのままで良いのよ」
「そんなにすごい人にならなくて良いの」
と、言われていました。
私自身が天狗にならぬよう、
母は釘を刺し続けていたのだと思います。
…幼少期から。
その言葉は小学生でも続き、
一人ひとりの個性の差が浮き彫りになる中学生になるころには
私はもっとすごいものを出したくても
出すことが出来ない人になっていきました。
覚えているのが美術の授業。
「漢字一文字を絵で表現してみる」という創作的な課題が出ました。
私はすぐに閃くものがあったけれど、ちょっと奇抜な案でした。
これでいくか、いかまいか…
何を悩む所があるかって感じだけど、
その案を先生に見せる勇気が私にはありませんでした。
結局、かーなーり無難な案を作り、見せに行くと
先生「ありきたりだから、絵の具の色使いで変化をつけたりすしたほうが良いね」
……
なんだか二重に凹む結果となりました。
未だに自分の意見を出すのはかなり苦手です。
けっこうアイデアや策が浮かぶタイプで、出したいのに出せないジレンマで
余計なストレスを抱えることになります…
ちなみに、夫は私とは逆に自己肯定感の塊みたいな人です。
折衝を必要とする仕事をしていることもあり、その塊をガンガンぶつけて活かしています。
一度、私と入れ替えて夫の自己肯定感を体感してみたいものです…