Moratorium collapsed | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
ひと月前にも同じような記事を書いた覚えがありますけど、最近喉につっかかってるモヤモヤの正体が分かった気がしたので、やっぱり同じようなことを書きます。


楽しいことって、ずっとずっと続いてほしい──忘れたくないですよね。でも苦しいことは早く過ぎ去ってほしい。世の中って不思議なもので3次元どまり
なんです。つまり私たちには『時(とき)』を操ること(4次元に生きること)はできません。

「今」というこの瞬間を、留めておくことはできないのです。私はピーター・パンのようにはなれない。いつしか永遠に“あのまま”でいたいと思っていた事は、叶わぬ夢だったのです。


『何かが離れていきそう』『一生会えない気がする』といったモヤモヤは、実は元の道理に戻っただけで、私は、今までずっと、この病気がもたらした結果が永遠に残り続けることが当たり前の世の中を生きてきたのかもしれません。そのモラトリアムが瓦解して、離れることに恐怖し怯え、世界を疎んじていました。その瞬間が『離れゆくもの』として表れたのでは…。

それを真摯に受け止めることが正しい道なんじゃないかな、って思いました。だけどモラトリアムな時代が終焉したからといって、『離れていくもの』は永久にそうなるのではなくて、別の形として残っていく。


その答えが、この場所。


ここで出会えた方々がいたからこそ、こんなこっ恥ずかしいブログが書けるわけで(そもそもウェブログなんて一生縁のないものだと思っていました)、私は大きな翼をもらったのです。将来鳥になりたいの?とか、そういう意味ではありません。例えば今後の闘病記でもいいです。「終わってしまった今」は4次元を飛び越えて、隔離されたモラトリアムと“元の道理”を繋いでしまうになるかもしれませんね!


さぁ、西は曇っていても東の空は綺麗な朝焼けですよ!今日も氷が張っていて寒いですが、一日頑張りましょう
パンチ



The moratorium which confused my mind reached the end...