アプリケーション② | コルシカで朝食(または昼食)を

コルシカで朝食(または昼食)を

高松市のコーヒー屋、コルシカ珈琲のマスターが思いついたことを書き留めていくために作られたブログ。

『今日のあなたの一日。雨ところにより、大雨が降り、洪水になる恐れがあるでしょう。嫌な人に嫌なことを言われ


る確率100%。大けがをする確率80%』

 何よこれ、最悪じゃない。しかも大けがって。

千紗は昨日の出来事を思い返しながら、暗い気持ちで家を出た。

「昨日わたしが手を切ったのは、へらへらしながら余計なこと考えて料理に集中してなかったからよね。わたしが


昨日、出血する確率、30%。ってことは気を付ければ防げたってこと?」

通学の道中も未来予報アプリのことばかり考えてぶつぶつ呟いていた。

「なにぶつぶつ独りごと言ってんのよ」

 後ろから千紗に声を掛けたのは菜月だった。

「それより、あんた昨日高志と友達になってたわね。楽しそうにチャットしちゃってわかりやすいんだから」

 菜月も千紗と同じソーシャルネットワークを利用していて、菜月も高志と友達なので、千紗と高志のやりとりが


見られるようになっているのだ。

「茶化さないでよ。わたし今それどころじゃないんだから」

 千紗はふくれて菜月を突き放す。

「どうしたのよ、暗い顔して」


 千紗は菜月に未来予報アプリのことを話した。昨日の予報の内容、電車が遅れたおかげで高志と仲良くなった


こと、包丁で手を切ったこと、そして今日の予報。

「呆れた。そんなの本気にするほうがバカよ」と菜月は鼻で笑う。

「でも実際に手も切ったし」

「そんなの偶然よ。どうせあんた高志のこと考えながらへらへら料理してたんでしょうよ」

「うう、確かに」

「ほら図星じゃない。だいたいそんな怪しげなアプリ、ダウンロードするのが間違ってるわよ。さっさと削除しちゃい


なさい」

「それができないのよ。エラーとかなって」

「何それ。ちょっと貸してみな」

 菜月はそう言って千紗のスマートフォンを取り上げて何やら操作しだしたが、首を傾げるばかりだ。

「おかしいわね。削除できないわ」と言うと菜月は千紗にスマートフォンを放り投げるように返した。「とにかく、こん


なもん信じなきゃいいのよ。だいたい予報なんだから外れることもあるって」

「そうだよね」と言った千紗の顔はまだ暗い。

「もういいから早く学校行こ。遅刻しちゃうよ」菜月はさっさと歩いて行ってしまった。

「あ、菜月ちょっと待ってよ」。千紗も慌てて菜月の後を追った。そう、信じなければいいんだ。


 しかし、一つ目の予報はまた当たった。

今日までに提出する研究室のレポートを、家に忘れてきてしまい、千紗は教授にこってり絞られた。

「あなたね。この時期にレポートを忘れてくるなんてどういうこと? 卒業できないわよ? それとも何? 本当は


やってないんじゃないの?」

「いえ、そんなことは……」千紗はこの教授のすべて疑問形で説教してくるところがたまらなく苦手だった。しかも


気分の波が激しく、機嫌の悪い日は疑問形の語尾の抑揚がさらに強くなる。今日はその日だ。

「本当? 嘘ついてるんじゃないでしょうね? あなたぐらいの年頃の女は平気で嘘つくんだから。もしやってなか


ったら本当に卒業させませんよ?」

「もちろんです。ちゃんとできてるんです。本当に家に忘れて……」

「だったら取ってこれるの?」

「え?」

「私、待っててあげるからおうちまで取ってらっしゃいよ」

「でも、わたし家遠いから二時間ぐらいかかりますよ?」

「私が待っててあげるって言ってるんでしょう? 気が変わらないうちに早く行ったほうがいいんじゃない?」

 取りに帰るしかなかった。千紗は大急ぎで研究室を出て、駅に向かった。

電車が来るまではあと二十分ほど時間がある。ベンチに座って教授の言葉を反芻する。

「なんなのよ、あの言い方。やってるって言ってるのに人のこと全然信用してないんだから!」

 スマートフォンがメールを受信する。高志からだった。

『大丈夫? だいぶ絞られてたけど。千紗が出て行ってからあいつ、ずっと若い女の悪口言ってるよ。近頃の若


い女はみたいな。おおかた旦那が若い女と浮気でもしてんだぜ、あれ』

 自分のことを高志が心配してくれているのを感じて、千紗は少し救われた気がしたが、スマートフォンを見て、


また未来予報アプリのことを思い出してしまった。

「嫌な人に嫌なことを言われる確率100%。また当たってんじゃん」

 千紗は溜め息交じりに苦笑したが、やがて笑いは消えた。

「てことは大けがするって予報もあたっちゃうんじゃ……」

 ホームに電車が滑り込んでくる。

小さく首を振って電車に乗り込もうと立ち上がった千紗の背中に、誰かがすれ違いざまに少しぶつかって、千


紗はよろけた。電車が汽笛を鳴らしながら千紗の目の前に迫ってくる。

が、それほど強くぶつかったわけではないので、千紗は黄色い線のぎりぎり内側あたりに膝をついた程度だっ


た。

「あっぶない。でもこれって大けがの予報が外れたってことじゃない?」。千紗はほっと胸を撫で下ろして電車に


乗り込んだ。

つづく