本日は六年生の息子の運動会を見学。
事前の話で「100mは一緒に走る人の中では一番じゃないよ」と言っていたので、2位か3位かな、とそんなに期待もせずに見に行った。
息子の小学校は校庭が小さく、トラックでの100m走。
結構なフライングも流されてしまうような条件の中、息子たちのレースはみなそろったスタートができていた。
第1コースに立った我が子はスタートの合図とともに、サッカーでよく走っているのかと疑われるような、両腕を伸ばしたままテロンテロンと振るような走り方で、良い感じで第1コーナに入り、第3コーナーでは先頭、ゴールの際には後ろを振りかえる余裕も見せていた。
他のレースと総合的に見ると、足の速さは真ん中より少し早い程度かと思われるが、あほみたいなフォームでそこそこ早く走れていたことに、まだかなり伸びしろがあるように感じた。
為末大氏は【短距離と長距離の走り方の違い】について、
「長い距離を効率良く少ないエネルギー量で走るの目的にするのか、ある一定の距離を多少消費効率であれとにかく速さを求めていくのか」という目的の違いが走り方の違いとなると話している。
我が子の手を伸ばしたままテロンテロンと前後に振るフォームは、スピード志向でありながら自分の力をあまり使わずに効率よく走れるフォームなのかもしれないとも思った。
そして、大きくエネルギーを使い、非効率だが早く走ろうという気はない今のところないと感じた。
同様の全力を出す気がないやる気のなさは、男子と比べると相対的に運動機会の少ないと思われる女子だけのレースでも見られた。
第3コーナーで1コースの子が2コースの子に追いついたのだが、最終コーナーで外側である2コースの女の子が巻き返して勝利していた。
外側のコースの方が前方からスタートしている分、後半では遠回りをさせられるコースづくりであるにもかかわらず、最後のコーナーで前に出た競争相手が目に入ったことで、少女の競争心に火が付いたのだ。
最後のコーナで残りの距離も短く、体力的にもつらいはずの場面で、外から抜ききったのは自身にとっては驚きであった。
サッカーでも勉強でも、親やコーチたちは、
「集中しろ!」「全力を出したのか?!」などとよく言ってしまう。もちろんそのこと自体は間違えではないのだが、まだ本気になれない子供の中にもいろいろな可能性が秘められていると今回の運動を意を見て感じることができた。
小学生年代でも、しっかりと勉強や練習をできる子供は素晴らしい。しかし、今それができない子には、案外できる子以上の伸びしろが隠れているかもしれないと思った。
また、
「おれちっちゃいから、大玉送りではほとんど触れないよ」と息子は予告していた。
大玉は4度周りを通ったが、最初の一回触れただけで、その後は何の役にも立っていない状況。
それでもやる気は人一倍あるようで、球の来る方に迎えに行ったり、列からそれた球を拾おうと動いたり。
球が来ないで待っている時も、人一倍はしゃいでいた。
全然触れていなかったけど…
「参加することに意義がある」ってこともあるから、大丈夫。
勝ち負けや優劣以上に、「好きなことをできる」ということは、人生においてとても大切なこと。
今日の運動会、他の子供たちも本当に楽しそうに取り組んでいて、とても有意義な運動会でした。