ゲームから学ぶ○○というゲームの本質 後編 | こりーさんのブログ

こりーさんのブログ

長男と共に37歳でサッカーを始めた父が、サッカー、子育て、ユーチューブや他競技から学んだこと、感じたことをなどをブログに綴っています。
「気づき」や「感じたこと」を伝えていきたいと思っております。

囲碁はルールがよくわからないが、「じゃぁ何で買ってきたんだ?」と言われると、五目並べしかできない自分が哀れになってくるような状況を何とか切り抜けて、息子の希望のチェスをやることになった。

 

 

息子は学童の頃やったことがあるというが、こいつらは自分に都合の良いルールを適当に作って遊んでいることが多々あり、あてにならない。

 

とりあえず説明書を読む。

 

この将棋でいう「歩」のようなショボい駒は、ポーンというらしい。ということが発覚。

 

息子・おねえちゃんともに、EXITのマネをして、「ポーン!ポーン!」と連呼、

うるさい、、、

 

どうみてもチェスという高貴なゲームに取り組む人間像ではない。。。

こんなあほうに負けるわけにはいかない。

 

 

ポーンは将棋の歩と違い、最初の一歩目は1マスでなく2マス進んでもOKという事、前にしか進めないが、目の前の駒は取れず、斜め前の駒を取れるということが分かった。

 

日本の兵士と比べて重装で壁を作るような役割であるため、正面からではなく横槍で相手を討ち取るイメージなのだろうか?

 

駒は、左からキング・クイーン・ルーク(戦車)・ビショップ(僧侶)・ナイト(騎士)・ポーン(兵士)となっている。

 

 

 

ゲームは私の2勝1敗、そのうち1敗はビショップだと思っていクイーンをあっさり取られたことが響いて負けた…

 

私の様に激安484円の駒を買うと、ビショップとクイーンを間違えて重要なコマをあっさり取られるので注意が必要だ。

 

 

 

チェスをやってみて感じたことは、将棋と違って駒を取られると駒は減り続けるので、リスクを負って手を伸ばすことが将棋以上に有効だと感じた。

 

その他にも、ポーンが最初の一手で、1~2歩進めるという選択肢によって、前線が斜めになる。

その盤面に飛車・角・桂馬のような駒が躍り出て、自身をおとりにしながら相手をからめとるような戦いと並行して、王を取るというゲームの目的に迫っていくのだ。

 

・リスクを負って攻めること

・近い場所でコマのやり取りの戦局を進めながら、遠く前方にいる王へのアプローチも意識する。

など、

 

ショートパスでつないいでいる最中にも、前線へのロングフィードを狙っているところ、などもサッカーに似ているなと思った。

 

少年サッカーブログにおいて、「ドリブルがうまい」「パスがうまい」ということと、「サッカーがうまい」ということを混同している選手や親が多くいるという指摘を目にすることがある。

 

しかし、将棋やチェスでは、明確に勝敗のルールがあるため、そういった議論は起こらずゲームの本質はとても分かりやすい。

 

王を取ったら勝利、王を取られると負け、

ただそれだけなのだ。

 

ゲームの本質が単純であるから、囲いや型、オープニングの太刀筋などは全て手段であり目的ではないと理解できる。

 

どんなに飛車・角がダイナミックに盤面を躍動し、相手の駒をどれほど多くとろうと、自身の王を取られたプレーヤーは、自分が将棋(あるいはチェス)がうまいとは思わないだろう。

 

そう思うと、サッカーというゲームを理解していないことを気づいてもらうためには、将棋やチェスなどを遊びでプレイして、攻撃に夢中でついうっかり王を取られる経験をするとゲームの本質に気づくのではないのかしら?(点を取る・取らせない、王を取る・取らせない)と思った。

 

そうしてゲームの本質に気づけば、飛車角がいくら強くても王を積まれれば負けなように、

ドリブルで何人抜こうが、どんなに素晴らしいパスを通そうが、「得点を取る・取らせない」ということがサッカーというゲームの本質で、その部分に効果的なプレーが良いプレーなのだと自然と気付くのではないかと思った。

 

また、ゲームとしては単純だが、オセロは本来手段であるべき事が、本質(目的)に迫るようなゲームなのではないかと思った。

 

オセロの勝敗の基準は、「終了の時点で白黒どちらの駒が多いか」という非常に明確なものだ。

そして、多少オセロをやった事のある者同士の戦いでは、「勝利のために角を取る」という局面で駆け引きが行われることが多い。

 

その理由としては、最初に角を取らなければそこから伸びる外周に駒を置くことができず、自身の石で盤面を染めることが難しくなる。

 

外周を自身の石で染めなければ、中央の駒も自身の石で染めること困難になり、結果的に勝利が難しくなる、ということを経験者は体感的に知っているのだと思う。

 

そんなこともあり、自身は石を角に置きたいがために、角のひとつ隣には石を置くことを避け、相手の石をを角の隣に置かせるように誘導できるような駒の置き方を考え戦っている。

 

 

オセロというゲームの本質(勝敗)は、「自分と相手で最終的に、どちらが自分の色の石を多く持っているか」であるが、そのための手段である「角を取ること・外周を取る事」は、結果的にそのゲームの単なる手段を越えて、勝つための本質にまでなっているのではないかと自身は感じている。

 

そんわけで、サッカーというゲームの本質を理解していない子には将棋やチェスをやらせると、サッカーというゲームの本質に気づくとは思うが、オセロをやらせたら(角を取ることにこだわるため)セットプレイに異常なこだわりを見せたりして、勝利に近づきながらも、その本質は理解しなくなりそうだな~、などと思った。

 

親はサッカーの本質を分かっていた方がいいのかとは思うが、子供は大きくなる過程でいろんなことを経験しながら自分で気づくのが一番いいと自身は思います。

 

 

いきなり「サッカーの本質とは」と抗議を受けると、少しサッカーが子供にとって堅苦しい存在になるような気がします。

 

もし自分が小学生の時に、「生物の本質とは、」「人間の本質とは、」「人生の目的とは、」ということについて、本当の正解を教えられたら、人生は味気ないものになってしまいそうです。

 

しっかりと正しいことに気づくことは、とても大事だとは思うので、息子にはいろいろな経験をさせながら物事の本質を自分で見つけられるような人に育ってほしいと思っております。

 

にほんブログ村 サッカーブログ 少年サッカーへ
にほんブログ村