前回リブログさせていただいたカエサルさんより、お子さんは上級生から無回転キックやカーブを教えてもらい、いつの間にかものにしているとのコメントを頂いた。
それを聞いて自分の子供の頃を思い出した。
現在44歳になる私が子供の頃は野球全盛期。
私も含め子供たちは現役時代など知らないのに王選手のマネをして一本足打法。
クロマティのマネをして尻をプリっと出しながら打ったり。
(こちらは当時は現役だった)
その他にも落合や駒田のマネをしながら打席に立った。
自主練の場面だけでなく、わりとゆるめで子供好きな監督が指導するチームだったので、チームでの打撃練習の時にもそんなことをしながらみんな打席に立っていた。
遊びで行う野球では、角のマネをしてサイドスローを投げたり、発泡スチロールのボールを使って極端に曲がる変化球をプラバットで打って遊んだりもしていた。
高校の時に帰宅部員が集まって行った草野球の際にも、イチローをまねて振り子打法や、種田のマネをしてがにまたで打ったり、野茂のマネをしてトルネード投法などをしていた。
マネをしてみることで、なぜかうまく打てることや、あまり当たらないけど飛ぶ打法、全然上手くできない打法や投法も体感的に理解することができた。
日本語の学ぶはまねぶ(まねをする)が語源であるように、真似をすることは学びにつながる。
校長通信: 学ぶとは、感動を心に刻むこと (hibari.jp)
また、遊ぶことも自身の創造力や可能性を高めるためにとても大切なことだと思う。
哺乳類は子供の頃は兄弟とじゃれたり、いろいろなものに興味を示して遊ぶ。
人間に近いチンパンジーも1歳くらいまではよく遊ぶ。(実際には大人になっても限られたあそびはするらしい)
人間は大人になっても遊ぶ。
↓ちんぱんの説明(読みたい方はどうぞ)
タイトル□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ (nakayama-zaidan.or.jp)
私たち日本人は勤勉であることを良しとするが、世界の他の国の人たちは遊ぶことを大切に考えている人も多くいる。
英語では自由時間などに娯楽として行われる、自発的・創造的な様々な余暇の活動のことをレクリエーション(recreation)と言う。
遊ぶことがcreation(創造)につながることを、英語圏の人たちは知っているのだ。
日本人に遊びは足りているのだろうか。
日本人にも遊び心は十分あると思うが、それを許容する心が少し足りないところもあり、想像力を狭めているような気がする。
私はユーチューブで宮台真司氏の動画を見たのだが、そのなかでドコモの職員が「iPhoneが世に出た時に要素技術は日本はすでに持っていた。」と話したことに対して、宮崎氏は「人間的な想像力を欠いた人間たちが日本のエンジニアリングのイノベーションを担っている」と評している。
(5:03くらいからがその話)
すでに要素技術を持っている日本が、iPhoneのようなヒット商品を作れなかったことは、生活に遊びが足りないことで人間的な想像力(発想)を生み出せなかったことが背景にあるのではないかと自身は感じた。
遊ぶことは勤勉であることとはまた違った面で、飛躍や成長に必要なことであると改めて思った。
カエサルさんのブログの話と、自身の子供の頃を思い出して、そんなことをふと思った。