物事の捉え方 | 隠居生活

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日記・blog

誰かが何かについて言葉を発したなら、

それを聞いた側には、色んな思考の方向性がある。


否定する人

肯定する人

共感する人

達観する人

無関心な人

面白がる人

見下す人

怒る人

哀れむ人

気持ち悪がる人

話の続きを付け加える人


それぞれの気分とか、状況とか、考え方とか、

今迄の経験で築き上げられた人格や性格によって、

条件反射的に感情が込み上げてくる。

その時点で、理解できる範囲で、解釈できる範囲で、

みんな勝手に納得していく。


もしかしたら、何年か経ったら、

正反対の意見を言ってたりもするし、

頑なに考えを変えない人もいたりするし、

自分の意見を他人に薦める人もいるし、

他の人から意見を奪おうとする人もいる。


その時は、みんな自分は正しいと思う。

続けて、間違っているのかな?と思う人もいるし、

更に、やっぱり正しいと思う人もいるし、

翻って、間違っていると思う人もいる。

意見を変えるのは、本人の自由だし、

それを兎や角言うのも、周りの自由。


気楽な考え方は良いよね~(´~`)

一番悩みも少ないからかな。

それが思考の放棄でなければ、

ずっと満たされた毎日を送れそうだね。


幸せは、人を癒やしたり、心地よくしてくれたりする。

不幸は、人を鍛えたり、上昇志向を育ててくれたりする。

何が起きても飄々としている人ってのは、

そもそも幸か不幸かで判断せず、

自分の感情にも敏感に気づいて制御し、

あらゆる観点から物事を捉え、最善を選択している。

傍から見ると、迷いがないように見える。

実際は、誰よりも悩んでいるのかもしれない。


毎日、不幸を嘆く物語にするのか、

毎日、幸せに明け暮れる物語にするのか、

毎日、自分以外の何かに囚われるのか、

毎日、自分自身を磨き続けるのか、

日々から開放されて、純粋に今を享受するのか。


たったひとつの言葉から、

幾重にも物語は紡がれて、

寄せては返し、満ちては枯れる波のように、

今日もどこかで誰かの言葉が、大海原に一粒落ちてくる。

漫然と漂う想いがここにも、またひとつ。



あ~今日は雨か(´ー`)r

今年の夏も、緑が生い茂るかな

恵みの雨やな~。


最近読みたい本が多くて、積みゲー状態だ。

溜まったメール消化も合わせて処理となると、

読むのも書くのも、ブログ時間削減かな~。

ちょっと最近遊び過ぎたので、反省の意を込めて、

時間の利用は計画的にいかないとね。


ほなまた(゜▽゜)ノシ