最期の時も安らかに | 隠居生活

隠居生活

日記・blog

最近の終末期医療について、

本人が食べなくなったら与えない、

延命を無理強いして食事を与えたり点滴に繋いだりしない、

という流れが出来てきたそうです。

(語弊の無いように、本人に生きようとしている意思があるなら、
全力で延命処置は行うことが前提です。)


いつお亡くなりになるのかと必要以上に人員を揃える必要もなく、

ベッドの数も充分になり、本人も安らかに逝ってくださるそうです。


無理に長生きさせられた本人達の想いを聴いたことがありますか?

彼らは自分の想いを上手く伝えられなくなっており、

しかし、そのことに歯痒さも感じているのです。


自分で食べることも、歩くことも、下の世話をすることも出来ない状態になって、

周りから憐れみや怒りの視線を向けられながら申し訳なくもあり、

恥ずかしさに暮れながら生きるのです。

そんなことされて嬉しいですかね?


自分達が長生きして欲しいから、

自分達の優しさを押し付けたいから、

弱い者を助けるのが格好良いから、

そんなエゴに囲まれて苦しみが続くのなら、

その辛さは地獄の如く耐え難く感じます。


最期の時くらい、好きにさせて欲しいものですよね。(´ー`)


寿命を1000年延ばす研究もあるようですが、

幾ら千年、万年生きようが、いつかその日は訪れる。

そもそも死を受け入れ、

与えられた短い時を大切に出来るならば、

心はいつも安らかで、満ち足りた最期になるのではないでしょうか。


お祖父ちゃんお祖母ちゃんがご存命の方は、昔話を訊いて欲しいです。

今の時代の大変さと、昔の時代の大変さ。

もし、幾つかの共通点を見つけられたのなら重畳。


あの子も昔は若かった、

忘れる前に分かり合いたい。

僕らは想いを紡いで生きている。


ほなまた(´~`)ノシ