三文…なんだろか…←いきなり(笑)
久し振りに通勤時間に出てみました。
サラリーマンの頃を思い出します。
それぞれに身なりを整え、春色を少し取り入れたりして、凛として早足で向かわれます。
ふと思いました。
被写体になる人の中にはスタイリストさんとかメイクさんに施してもらう人が少なからずいらして…
でもサラリーマンさんは毎日朝早くから自分だけでやって、それから通勤電車に揺られて、ヘロヘロになって目的地について尚働く…
それが日常で続いていく…
何かそれを見た時、やっぱり大学院とか下宿して徒歩圏内で学部通ったり、が、デブオルト、って、特殊だったなぁ、って思いました。
なんで憧れてたんだろう…❔
両親ともが憧れてたのはなんでだろう❔
毎日粛々と通うサラリーマンさんたち…
シンプルにカッコいいじゃん❗❗って思いました。
子どもを送迎する凄いママチャリお母さん…
凄いなぁ…って。←やっぱり懐かしい…
私、なにやってんだろ、
いや公聴会の壇上につくとか国際会議のそれとか、
そこまでにどれだけの血ヘド吐いたろう、どれだけの事を犠牲にしたろう、異端扱いされたろう(いじめ含む)…と、先輩に言われ、
初めての発表の時、上手くやろうとか、資料ギリギリまで修正して緊張MAXになるんじゃなく、採択されないとそこに立てないんだから、まずはその事実を喜んで、と。
そう言って貰ったけど、
う~ん…なに言いたいんだろう…
あとは沈丁花の薫りに気づいたかな。梅も散りだしたし。
私の名前には華がついているんですけど、時代としてはハイカラというか周りにいませんでした。
強くて派手で苦手だったんだけど、
もしかしたら、その文字を知っているということその事実だけでも、秀でていたことなのかもしれないな、って。(つけたのは父親)
知っているのは当たり前で、そのさきの意味とかじゃなくて、ただその事実を喜ぶというか。
そんな事柄に開眼や達観しちゃったかしら、というか。
いろいろと異端?だったからか、それぞれの人の理想に生きていないことを、本当によく攻められました。いじめという形でもそれは起こりました。
今思うと、それぞれの人の理想に私が生きる責任は一切ないんだけどw
だから人がとっても怖いwwww
そんな自分に小さな春が来たかも、みたいな。
長い長い闘病…
そこそこ受け入れられてるといいなぁ…
またへんなへなちょこぶろぐ(笑)
さ、今日もお母さん頑張ろう~♥🍀