まーちゃんは、お兄ちゃんのパーカーが好きです。
すりすり寄って行って、本人のを奪い取りますw
もっと正面に顎を預けておねむだったんだけど、
カメラ向けたらそっぽむかれちゃったw
今年で13歳になりました。
まだまだ可愛いまーちゃん(マロンちゃん)ですw
こんな時間に、ですよねw
今日は修士時代に閲覧したスライドがネットに落ちていたのを偶然発見して見返しています。
プログラムを複数のプロセッサで同時に行えるようにするための変換、並列化のです。
当時の有り難い事、辛い事を思い出していました。
指導教官と折り合いが合わず、脱出して、人工知能へシフトしたのですが、揉めるということはすんなりいくはずもなく、
本当に嫌な思いをしました。
今でいうところのアカハラがいっぱいありました。
力関係で言えませんでした。
幼子を2人抱えての入学で、学部は産近甲龍だったので、馬鹿にされたのを思い出します。
悔しいから、今履修して、わかってやる!ってやり始めました。
でも、、、今見ても、、、なんとも解りにくい、興味の持てない作り方。
学生が研究会で作った資料をそのまま合体して流用しているから、
細かい添え字など、齟齬がいっぱい。
数学者としてあり得ない。
大きく見せる先生だったな。。。。。
今は調べるという技術が身についているので、当時カタカナの凄い技術なんだ~、として思っていなかったことが、
1989年の古い古いそれ、と解り、
なんならその技術を正しく理解していなかったと思われる資料の作り方。。。
学問に真摯に向き合ってはおられなかった。
予算予算予算。。。。お金の計算ばかりしておられた。
解るけど、、、、酷かったように思う。
今はPC自体がデュアルプロセッサだし、量子コンピュータが実用化しているし、
否、今振り返って、当時で最先端じゃないのに、最先端、と言っていて、
それを信じて受講しなけらばならなかった学生、、、、
ま、現役の学生は、見抜いてうまく対処していたみたいだけど、
私は初めて院生になって、学部とは全く違って、大学の教授と言われる人と結構長い間密に居る事になって、
なんだかその先生の色に染まらないといけない風潮だとか、
とっても窮屈だったんだと思う。
黒といったら白でも黒。
あの先生は無理だったなあ。。。。
挑むのも、見定めないと行けなかったんだな~、って。
同じ癖があったみたいで、京大にもチャレンジして、
結局、最高学年で鬱になったというか、鬱にされちゃったというか、
怖いな~、、、、研究室、って。
閉じた空間、って。
数学なら閉じた状態は美しいと思うのに、人間世界のそれは美しいと思わない。
。。。。
ってなことを感じながら、やっぱり当時の悔しい想いから、ノートのキリのいいところまでは、なんとなく写してはいますが(もちろん理解しながら)、
書いてあることを理解しても、もはや感動は無くて、
「なんだ?これ。。。。これを楽しいと思っていたのか。。。。」と、まるで離婚した時の、
「なんであの人と結婚してたんだろう」な感覚。←激しくおいおいw(弁護士につぶやいてしまったのです。。。)
やっぱり大海に出れないまでも、時間的物理的距離をとって外から見ると、
解る事、あると思う。。。。
と、今は、膝にまーちゃんを抱きながら、PCを打っています。。。。
コロナが蔓延している今、色々かなりの力で内的に振り返っています。
世の中の時間が止まったので、時間を貰ったのだと思っています。
有り難い事に頭を使う時間や、体を鍛える時間にしたいと思います。
自己研鑽、ですかねw
おやすみなさい☆