自閉症の男の子(ga9さん)を育てているga9さんママhttp://ameblo.jp/mah3ga9/と交流させていただいています。

 

一見意味のない行動に映る、それらも、よく観察すると、規則性というか何がきっかけでどうしたくて、ってことが解る時があります。(もちろん全ての自閉症のおともだちの全ての行動に対して理解できるわけではないです。)

 

ga9さんの様子を書かれたブログで、「そうそう!私もある!」ってときや、「言語化されていないけど、こんなことを直感的に考えて行動しているなあ・・・」という心理などを、コメントさせていただいていて、

 

ママさんはひとつひとつのコメントに丁寧に回答くださいます。

 

そうして、「書ける時でいいので、どう考えてどう思っているのか教えてください」と言ってくださいました。

 

私は生育上、ひどく「普通でない」と、「(親や先生や年長者の思う)常識で無い」と、さほど目立つキャラでもないのに(捕まりやすいんだと思いますwww)、たくさんたくさん叱られて、たくさんたくさん支配されて、たくさんたくさん干渉されてきました。

 

ga9さんママや私を知る人の中で「もっと気楽でいいよ」と言ってくださる人が数人います。亡父も何かトラブルというか私が辛い状態が臨界に達していたときは「なんでそんなになんでもかんでも難しく難しく考えるねん!!」って不思議がっていたけれど、

 

普段母からは、馬鹿にされていたし、他人を馬鹿にする言葉を聞いていたから(私が学校に行っていたり、傍に居ない時もいつもそう言われているんだ・・・)って、いたから、どこまでもどこまでも考えるんです。

 

それを短時間に精度よく、も、求められてきました。おそらく昔、母が仕事に就いたとき、経理や銀行だったから、読み書きそろばんが、正確である事が求められて、そういう試験を受けて採用になったから、それが正しいと母は思ってしまったのだと今なら解ります。(自分の経験則を正当化するのは人間にありがちな行為)

 

 

で、馬鹿正直な私は、それを真に受けて、自分に適合しているかどうかも解らず、社会が変わっているかどうかも解らず(そりゃそうだ、子どもだったんだから)、母の厳しい期待に応えてきました。

 

母の言った言葉で印象的だったのが、

 

『どのテストも100点だったら、必ず東大にだって入れる』

 

でした。

 

 

だから、いつのまにか、「98点も採ったの?凄かったね!」じゃなくて、「どうして2点間違えたの!!間違えてなかったら100点だったのに!」という価値観のおとなの近くに行くことになりました。

 

 

高校も地元の進学校。まあ男子はたまに東大狙うけど、多くはやっぱり関西の京大を筆頭に国立大学を狙う。中学で学年の上位の子ばかり集まるんだから、そこで席次も変わるわけです。最下位にだってなってしまう。 ・・・でもそれは許されませんでした。 成績至上主義。

 

知らぬ間にその波に呑みこまれました。もしかしたら母自身が呑みこまれていたのかも。祖父の理解が無く、また徴兵で引き揚げてきたから子だくさんで家計が回らず、女子が学つけてどうする!?が当たり前の時代でしたから、高校ですら祖父はなぜ行かさなければならないのか、となり、中学校の先生が「さすがにそれはもったいない」と、祖父を説得してくれた、と、母にいつだったか聞きました。

 

そのなんというか、思い残しの取り返しなのでしょうか、父も初恋の人が国立大学附属中学を受験して去ってしまったせいでしょうか、まだ四大に進学する女子が全国で三分の一という時代の関西で、私は両親に成績だけを求められたのでした。

 

浪人しないんだから、生まれてから18歳で大学進学をピークにもっていかなくてはなりません。塾の知識がないから、そこらへんの塾でそれを成し遂げろ、というわけです。

 

 

住宅事情もよくなく、夫婦仲も悪く、私は、勉学に身が入る状態ではなかったのですが、両親の人生の夢だというので、それはそれは必死に求められるまま、無茶を成し遂げようとしていたのです。

 

 

「気楽に考えていいと思う」のなら、”私にとってたくさん考える事が苦痛であるとする状況があるとするなら、それはどんな状況で、考えている事のうち、どれを優先して、どれを捨てて、どれに集中すればいいのか”を、まずは噛み砕いて教えてほしい。

 

現代において、あまりみなさん自覚しておられませんが、いつからか、子育て、家事、介護、が、外注になっています。SOHOという形が浸透した時代くらいからです。

 

バブルで豊かになった両親は、私を外注に出したのです。外注先の評価も選別も調査もしないままに。そうして外注先にまかせっきり。

 

 

なのに、自分の夢通りにならなかったら、外注先じゃなくて、私を責めたのです。無能だと。

 

私のれっきとしたトラウマです。

 

 

だから、今でも、強迫的に勉強しようとするし、合唱も「今から音大受けてソリストになりたいの?」のような姿勢になるし。とにかく根を詰めるんです。

 

努力が足りないからだ、という根性論で、そうされてきました。

 

 

だから、もしかしたら、「発達障害は親の育て方じゃない」と言われているけれど、育て方かもしれませんよ。具体的にいうなら「関わり方」ですよね。

 

私は心が捨て子のような感覚を持っています。そうした親を人間的に信用していませんでした。

 

今ですか? 父は亡くなりましたし、特に母に対してはある時に諦めました。悲しいけれど。

 

『自分が正しい』と自分の価値観を押し付ける人にろくな人はいません。論理的に説明できないおとなは信用しません。

 

その感覚が私の基盤になってしまっています。

 

そういう意味では、一瞬嬉しかったけれど、「教えてほしい」は、よく解りません。

 

ga9さんママが、ga9さんとコミュニケイトして、ga9さんを理解することが、ママさんの親としてのお仕事だと思うからです。

 

 

私・・・放置・放棄されて、どうにかこうにか御縁に恵まれていたというか、一生懸命真摯でいれば知を解放してくださる人がいてくださって、それでその専門分野は伸びていきます。

 

すると、それを知った時に、放置・放棄した人が、すり寄ってくるのです。

 

それが親や親族であったときの、悲しすぎること、悲しすぎること。。。

 

 

そういうおとなは私は勝手すぎる、と、思っています。親がそうだったので、誰に対してもそういう勝手な側面が見えたら、程度にもよりますけど、かなりの確率でドン引きします。

 

 

。。。だから、ブログもいいね!数増えないんでしょうね。なうのフォロー連絡は結構来るので、私に知らせないで読者になってくださっている方は結構いらっしゃると思います。

 

。。。そうですよね、実体がなくても、PV数で潜在的閲覧者の数、解りますもんね。。。

 

 

人気が無いブログだと想わなくていいんだ、反応がないから、文章が書けていない、って思わなくていいんだ、って、自分に言ってあげようと思います。

 

 

正直、まだまだ人生戸惑っています。世の中に戸惑っています。手のひらを返す社会に戸惑っています。。。。都合のいい人に戸惑っています。。。