魂の叫び | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

互いに自閉症スペクトラムだとか関係なく、

 

 

とっても息子が私に超失礼だったので許せなかった。

 

 

生き方や人生を軽んじられたと感じても変では無い語彙と文法と心理で私に暴言を吐いた。

 

 

吾子じゃなかったら、責任がなかったら、今生の別れをしたい、と思うような言動がいっぱいあったが、

 

 

今日はもう我慢できなかった。

 

 

息子が今、疑心暗鬼になっている様子を、「不信」「不審」だとするなら、「心理学的には不信や恐怖などは近似的に似たような感情」だから、ま~ちゃんは知らずに御膝の上に乗ってくれたんだから、癒されたらどうか、と言ったのを、例の拘りで、「不信なのであって怖いんじゃない」と言ってきかなかった。

 

 

怖い、と思っていると、カッコ悪くて言えなかったんだと思う。けれど、事情は逼迫していてそんな呑気な状態では無い事を考えると、カッコつけてなんていられない事を解って欲しかった。

 

 

それもあって「拘りという意味では違うのかもしれないけれど、学術的には近似的にほぼ同じ領域の心理だと証明されているよ」と補完したのだけれど、決して首を縦に振らないばかりか私のこれまでの学歴を否定した。

 

 

大学に通った事のある人なら解るでしょうが、私は理系だけれど一般教養ももちろん履修済みだから心理学を専攻した。子ども達をかかえて進学した先の奈良女子大学という旧制の師高等師範学校という恵まれた環境で、修士課程で「病児心理」「発達心理」「臨床心理」などを、文学部附属の子ども達を対象に実際に触れて時間を使ってそれで学術的にも整理でき、これらを修めた。

 

 

奇しくも吾子たちを食べさせるために、あるいは理解するために、アルバイトもしていたので保育園に理解して貰って預けていた時に、大学院の履修時間で行われていた事だから、特に幼かった息子は実際にその現場をみていないから知らない。

 

 

京都大学の博士課程に進学しても、ICT教育も研究していたから、教育学もしっかり学んだし、コンピュータの父と言われているアラン・ケイ博士とも共同研究できた。先生の足元、いや、足跡くらいにはついていきたくて、キム・ローズ博士(先生)とお話させていただいたり、また実際に京都の小学校にいくつかお邪魔させていただいたり、必要な学業と実際とを総合的に多面的に寝食を忘れてやっていた。

 

 

息子がイジメにあって、これら全てを中断しても、いいくらいの事だから、走ったけど、母親以前に個人の私である時に、命や人生をかけてそれまで生きて来た学業と経験と人脈とを全否定されたと言っても過言じゃない言動をどうしても許せなかった。

 

 

私の魂が「命を奪わないで」と悲鳴をあげたのだ。

 

 

それからは初めてと言っていいくらい本気の知能で私はぶつかった。母親かもしれないけれど、女かも知れないけれど、オバサンかもしれないけれど、命をかけて人生をかけて京都大学の博士課程を認定修了したスキルの人間に、知らないからと言っても、余りにも酷い無礼な言動だな!!!と。

 

 

私こそカミングアウトしなかったが、学術、特に脳神経科学や認知科学や心理に関する事はコンピュータで再現する以前に、根底を研究するのなんて当り前の事なので、見ていないからといって、やっていないと決めつけたその心根や思考が本当に許せなかった。

 

 

何?私は誰も見て居なかったらサボる人間なのか???カッコつけるのか???

 

 

そんな事していてあのアカデミックな世界に半歩でも足跡でもついて行けるか、ってんだ!!!!

 

 

吾子と同じか、もしかするとそれ以上に心酔していた研究。子どもからすると寂しいのは解るけれど、そんな次元の話じゃない。世界に目を向けたらもっと心理的に困窮している心が気が状態にある、今暴力や社会的に力のある何かに支配されて、女性が学術に、あるいは、家事育児以外の何かに、生きる事を阻止されている状況を知ったら、なんと希少な機会に恵まれていたか、と思うと、本当に有難くて命をかけるべきものだったと思う。

 

 

それくらい、世界の女性の将来の生き方やライフスタイルの一部分を背負っていたと思う。教授は「まだ誰もいないのなら、君がパイオニアになればいい」とさえ応援してくれた。

 

 

時に、家族が一番の無理解者になってしまう。よかれと思ってすっとんで帰って来たから、欲を張るようになる。どれだけの代償があったかなんて、本当にはそれこそ近似的にも解らないのだ。

 

 

息子と激しい言い合いになって彼を論破したのは、おそらく彼が男性できょうだいの下であるからだろう。

 

 

『人の事を信じられないのなら、知識や技術を信用したらいい。』と諭した。私がそうだったからだ。偏見や噂に貶められないためには、盾として、知識や智慧や技術を身につけて、そうして生きる事が大切だ、と、厳しい口調で話した。

 

 

『発達障害もそうだが、情動は脳の中枢部分に物理的に位置している。それを本能とするならば、理性は知識、つまりそれを覆うくらいに大きな領域を取る大脳皮質だ。理性で本能を司る事が出来るくらいにそれらを蓄える努力を人生ずっと続けて行かない限り、君達を偏見でみたり侮蔑したりする口先だけの人間となんら変わらないぞ!心は脳だから律する事が出来ないぞ!!』と。

 

 

初めてこれくらい子ども達に言ったと思う。二人の平均年齢が成人だから、皆に残された時間と、これから生きて行く時間を俯瞰すると、よいタイミングだったと思う。