語彙を並べてみたものの、
なんのこっちゃない、
かつて親にされた事を、
私は息子に投影してしまっただけに過ぎないんじゃないだろうか。
情けない。情けなさすぎる。
所詮はお釈迦様の掌の上だったのに、
知らずに傲慢になっていた孫悟空みたいに。
私は私の中にいる衝動性が嫌いだ。
激しく神懸かり的に閃くのも同じ部位や絡繰りのようだが、
寸分ベクトルの向きが違うと息子が言ったように全く違うものになるのではないだろうか。
そう、平面座標ではなく、極座標のように。
ノイマン型コンピューターではなく、量子コンピューターの概念のように。
考え方の違いなだけで、君の言うこともまた、真だよ、と。