痛かったり辛かったり誤解されたり偏見にさらされたりした人はどこかしらすると思うんですけれど、
人(その人の人間性)を見ません?
何度も何度も見ません?
やがて、疲弊した時に、化けの皮が剥がれるんですよ。
追い込まれた時の姿が私はその人の『素』だと考えていますから。
究極になってもなお真摯な人、
ぶちキレル人、
周りのせいにしたり周りを隠れ蓑にしたり言い訳したりして責任を放棄する人、
出てきます。
人に便乗するマジョリティ寄りな人、
色々見えてきます。
私は追いつめられ切ったら冷静に俯瞰し出しますね。
手術の麻酔の事故で、抜管がうまくいかなくて、呼吸が戻らなかった時は、もうダメだ、の後、短い人生を動かせない体の中で振り返っていました。
娘の命がどうか、という救命救急でも、医師にも警察にも論理的に話していました。
自らが背負っているからでしょうね。
徒党を組まないし、逃げも隠れもしませんし。
生き方としては全くの不器用で処世術の欠損だと思います。
でも、信念というか、真理に気づいているからそうします。
逃げたら追われる。
その場では逃げ切れたと勘違いしても、別の姿でまた追ってくる。
種も仕掛けも全部バレてやがて通用しなくなる。
だったら今目の前の事に個人で丸腰で今までに培った力であったり潜在能力を引き出して対峙するしかない。
私はそうして生きています。
だから露呈されてしまう事に向き合えない人は、
私に罵声をいっぱい浴びせて追い出します。
何も言わずに身を引く、のとは真逆の行為をします。
暴言暴力も受けてしまいますよ。
でも、そうなってしまいます。
だって、それだけ誇示しているのに、そんなに早くに簡素なところで、自爆するとは思わないじゃないですか。
人間は人間なのであって爆弾じゃないんですから…
本当に、物理、論理、真理、定理…なんでもいいんですけれど、
理で通じない人だらけですね。
盛者必衰の理をあらはす、
って言いません?
あれれ?