最近キーの調子がよくないです。もう古いですからね。私もミスが多くなって来ました(笑)でもそうすると思った事を書き込むのにタイムラグが出来てしまって「なんだった、っけ???」となって困ります。
本題に戻りますと(相変わらず前置きが長いですが、情景描写がないと内容を勘違いされもするので必ず説明を兼ねて書いてしまいます。ご容赦ください♡)、まえにも書きましたが、突如としてぶわー!!!っと色んな気にかけていたそれぞれが一気に「それって、こうかも!?」と噴出する事があります。
今朝もそうで、いっぱいすぎて、今こうしている間にズンズン忘れてしまっているのですが、「障害は個性」だとか「病は気から」という言葉に対して、







これらの言葉って、罹患した本人に思って貰う言葉じゃないかなあ、って。本人が個性と思う事でこころが救われるのなら、それでこころが健やかになるのなら、それが精神面での良薬になるのではないかな。。。。と思ったのです。
罹患している人に対して発する言葉じゃないという事です。言われたら傷つきますよ。励ましどころか傷つく。
こういう大変な事、って、例えば「聴いてあげるからさあ話して」ってされるものじゃないと思います。本人がようやく何かぽつねんと雰囲気だけでも、なかなか根幹部分に入れなくても、話せるタイミングで傾聴させていただくのが、よろしいのではないか、と。
他は今は忘れちゃいました。でも、ふ、とそう思ったのです。「妊娠は病気じゃない」もそうですよね。他の遺伝子と結合して、減数分裂するなかで、いろんな体質があるから、いろんな事が出てくると思うんです。それを定型に押しこむなんてナンセンス。
そう思うと、「真の傾聴とは?」のタイトルにした方が良かったのかな。。。(笑)それもまあ、私が今は「堅苦しいタイトルだと読むの嫌になられちゃうかな?」と思ったし、変なパンチミスで「うわ~、こんな文字の羅列出て来た~☆音読できないよ(笑)」と面白かったので。
さあ、今日も音楽漬けです。前回疲れたり初めての事があってビックリしてかなり悩んでいたのですが(←そうだったの!?笑)、シンプルに歌う事が大好きだから、平素さえずりを楽しんでいるかのような小鳥さんのように「私の声」を育つ事を楽しみたいな~、って思いました♡
ではまた~

