ろーかる直送便 プライムS▽広島からアウシュビッツへ~戦争体験を受け継ぐために
チャンネル [総合]
2015年8月5日(水) 午後3:15~午後4:00(45分)
初めての国際会議はアウシュビッツへの入り口、ポーランドのクラクフという町でした。
広島の語り部となろうとしている女性が負の遺産を見に向かった様子がドキュメンタリーとして放送されています。
当時の私は必死過ぎて発表当日までホテルと会議がある大学を伝書鳩のように行き来しているだけで、ホテルでも殆ど寝ることなく小さな窓から外をたまに覗くだけで研究資料や発表資料と格闘していました。
発表後、『人間である限りは見ておかないと』という某大学の先生の強いすすめで向かいました。
旧市街の映像が映し出されました。私は上の言葉をその先生に伺うまで、クラクフがその入り口にある町である事を知る余裕すらありませんでした。
心構えな無いままに行ったそこで、データからある規則性を読みとってしまって、心が崩壊したのを覚えています。皮肉にも『労働すれば自由になれる』という看板が掲げられています。
テレビで普段放送される事の無いガス室の中などを五感全部で感じ取って、なんだかなんだか・・・デジカメを使う事などとっくに忘れ(一枚撮れたんだっけか・・・忘れました。)、
ずーっと心のカメラを回し続けた事だけでもうオーバーフローしたのだと思います。
有名な線路の手前に小さな展望台があるのですが、そこの二階から線路を見つめ、南から西の方向だったので陽が沈んでいくのをただ呆然と見つめるしかできませんでした。
そうして『このまま日本に帰っていいのだろうか』とさえ思いました。
・・・追伸、
ガス室の規則性とは、ガス室に入れられる順番にさえ、収容された人達から序列を決められ、職や労働力の無い女性(老人・乳幼児)から先だった、ということです。
同じ女性として、娘を持つ母として、母がいる娘として、この序列に言葉を喪ったのを覚えています。
色んな想いが交錯したままのクラクフ。