記号みたいで嫌と思う部分がありますが、これ以上掘り下げて書けないというのも事実です。
他の方は存じませんが、私の発達障害の特徴には、「とても慣れにくい」というのがあります。
そうして、一度慣れると、次の場所に行く時には、この「とても慣れにくい」という事があるため、慣れたところになら行き続けられる、という事になります。
ところで、この「慣れ」るまでの時間ですが、とても平坦な場所でも数年単位です。ですから、ほんの些細な衝撃があるだけで、リセットされてしまうどころか「怖い」となるので、ゲインした所から、またその場所や状況へのチャレンジをしなくてはなりません。
三歩進んで二歩下がる、なら良い方で、一歩進んで三歩下がっちゃうときもあるのです。兎に角、なかなか進まないんです。
どうしてこれを冒頭に書いたか、というと、3.11への想いです。
4年が経つ、と、メディアでは連呼されています。だから慣れてはいけないし、解ったつもりになっている事がよろしくない、と。
これが私には該当しません。あのショッキングな状況を見たまま。その時の感度のまま。なんとか封印しているだけで、想起すると、パニック発作が起こります。
「もっと大変な人がいるんだから、感情を圧し殺しなさい」という暗黙の了解があったように思います。
もちろん感情を解放していい、と言われても、あまりにも大きなショックを受けた時には、私は乖離状態と言えばいいのでしょうか、まさに茫然自失になるので、その時の感情など解らないのです。
そのまま止まっています。
別件で、アメリカの在韓大使が会議場で、傷害事件に遭いました。報道では流血の写真が流されています。
記憶が怪しいのですが、娘が頚部を・・・の自傷をしてしまった時の映像がフラッシュバックしてしまって、朝からかなり動揺しています。
当時、かなり諸事情に追い詰められていた娘は、そうしてしまったようですが、根気よく医療機関にかかり、足が向かなくても、様子を報告し、三歩進んで二歩下がる、なら良い方で、一歩進んで三歩下がっちゃうときもあるのです。兎に角、なかなか進まない中、やっと、今日までになりました。
周囲の理解、本人の自覚、成人を超えたので、服用可能になった薬、それらが総合的に整って、やっと、です。それでも、恒常的な安定には、もう少しかかりそうです。
昨日、PTSDなどのストレスで海馬が萎縮してしまうことを書きました。記憶・学習に関わるので、認知症への対応も、この海馬の機能を研究する事で新たな道筋が開けて来ました。
なので、認知症も、PTSDも、もしかしたら発達障害も、学習障害も、対応は酷似しているかもしれません。
阪神淡路でも20年目に当たる今年のその日への緊張は尋常ではありませんでした。という事は20年たっても、慣れてなんていないし、時間はもしかしたら止まっているのかもしれません・・・
まとまりが無いブログでごめんなさい。皆さんにも皆さんのそれぞれの想いがあるとも思います。
けれど、驚きやすい、不安に思いやすい、障害を持った人間に対しての理解も、誰しもに可能性がある認知症への理解と同じように、していただきたいと思いました。
どうぞ宜しくお願いします。
大使の傷と、心の傷が、回復されますよう・・・

