安定剤飲んだけれども、
最近は耐性が出来てしまったみたいで、
夢を見るようになりました。
しかも人間の生きる基になる、
色んな『欲』について、
決まって哲学的なアプローチです。
そろそろ寿命なんやろか(-_-;)
目が覚めてしまい、
また不安が払拭出来ず、
コメント返信するほどには余力がなく(なかなか返せなくてごめんなさい…(泣)、
自己嫌悪の繰り返し。
(あ、また、強い胸の痛みが…)
いや、何が言いたいかというと、
自分の意見=正論=人間のあるべき姿=社会の在り方(=文句あっか!)、
ってしている人が、
結構多いんだなぁ~…って感想。
人の数だけ正論がある、と思えるくらい、
ブログを始めとする、
個人の情報発信ツールが増えた事が、
こういう使われ方となってきて、
それが個人のアイデンティティーに今やなっているのか…
と、大変、なんといいますか、
言葉に出来ない…(^_^;)
いや~、凄いなぁ~
これじゃ、本末転倒で、
船頭が多いというか、
誰も検閲しないから、
書いた事を再読して、
(これブログに載せていいのかなぁ)
(この日本語は正確かなぁ)
と人にとって有用な情報発信ツールに、
あの日をきっかけに、
よい方向に向かってくれているのだろうか、
と思うと、
何とも言えないキモチになる。
もうすぐ、5時46分を迎えます。
毎年、最上級の緊張が走ります。
あれから19年経ちます。
夜が明けて露になった、
地下直下型の震災の…
これ以上は手が動きません。
あれから、そういう破壊型のVFXやアニメの映画も、
観れなくなりました。
この日が近づくと、
そうして、3.11が近づくと、
担当医は国のチームで実際に何度も、
精神科医として被災地に入られたので、
やはり緊張状態が続きます。
来月は私の誕生月ですが、
6年前に従兄が自死したので、
大黒柱を突然喪った、
義理の従姉や子どもちゃんたちを思うと、
緊張が走ります。
生きている事だけでも、
の後、
『紙一重だから自分がそうだったかもしれないから、
生きられなかった人の想いに寄り添おうね』は、
私は難治性鬱病なので、
身体があまり動かないし、
頑張るという語彙が入ってないから、
まだ耐えられる。
けれど、
『生きているだけで素晴らしい』と言う人がいる。
そうすると亡くなった命に価値は無いという意味にもなる。
よく言えるなぁ、私は言えない、って思う。
人様が何をどういう語彙で書こうと、
存在は否定しませんが、
同意もしません。
『そういう捉え方をし、
そういう発信をするんだ~』
と冷静であった昔を思い出しました。
そういう意味です。
皆さんのブログが面白い(人間というものは興味深い)と書いたのは。
緊張するなぁ、
私の場合は、生きている間、癒える事は無い、
って昨日のあさイチで確信した。
それでも人それぞれだし、
言う人もいれば、
今回まで言わなかった私みたいな人もいるし、
一生胸に秘める人もいる。
ただ解っている事は、
やっぱりその時間は、
こころから、黙祷したい。