阪神淡路大震災の事、
忘れなさすぎて、
辛すぎて耐えられなくて、
当時の映像なんて見れなかったし、
口に出せなかった。
東日本大震災で病気をおして、
お医者さんに内緒で、
何が出来る訳でもなく駆けつけたのは、
あの日未だ娘が五ヶ月で、
何もする事が出来なくて、
インターネットが整備されてなくて、
携帯電話も普及してなかったから、
電話が通じた!テレビが点いた!知り合いの無事が確認できた!
って解ったら直ぐ公共のモノをもっと大変な人に譲る事が最優先でした。
話したくても電話をかけちゃ、
救急回線がパンクする!
特に入院患者さんやご自宅のご高齢の方、
乳幼児の子どもとお母さん、
災害時に自由に逃げられない人をどうするか、
それを未だ少しは無事な人間が手分けして考えて、
限りある通信手段をどう使うか、ってしてた。
私の元々の専門は通信もしていました。
大きな企業だけが持っていたインターネットの走りみたいなものが、
それから個人レベルに普及して、
固定電話の回線とは別のルートを確保する、
新しい通信手段の急務にきづいた災害でもありました。
今や皆さんが娯楽に使っている通信は、
大切な命綱なんです。
倒れちゃっても携帯が一定時間に一度、
サーバと同期を取るために発している微弱電波を、
携帯会社の最緊急ツールを使えば、
居場所をつかめて命が救えます。
興奮して、話がとっちらかっていますね。
申し訳ないけど九時のニュース前迄でも、
当時を思い出して傷が癒えていない事を封印していた事を知って、
大号泣して、
今から安定剤飲んで休みます…
息子はテレビを視る事に大反対しました。
『大切な事かも知れないけれど、
それで今、目の前でお母さんが倒れられる方が、
僕は本当に生きるのに困るんや!』
って。
ごめん…
そのために、少しでも乗り越えたくて、
…乗り越えたくて…
でも今、
息子の話をきけば良かったかも…の体調になってきました。
午後からの診察行けるかな…
当時、息子は生まれていません。
けれど感度が頗る高いのと、
衝撃映像が人の脳や心理に与える影響を、
研究している京大病院でもあるので知識として息子は持っていて、
特に息子自身や私やあるいは娘の体質や性質では、
症状として出てしまう、
生物学的にも弱い人間なので、
何度も怒って叱って、
電源ごと切ろうとしましたが、
私はやはり無理をしてでも、
人様のお役に立ちたいキモチが勝ってしまって。
時に知識は残酷です。
事実今は、臥せって身体全体が強く痺れて、
頭痛が酷くて、
心臓が痛くて、
おそらくこの後、もしかしたら、過換気。
息子君、
ごめんなさい…

今から少しだけ安定剤多く飲みます。
息子に報告して。
ダメだ、これ以上は、震えて痺れて打てません。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
役に立てなくてごめんなさい

役に立てないのに何で生きてるんだろ

ごめんなさい
