凸の為に凹に逢いに行きます。めぐり逢えるといいんだけど。
こころが凹の状態だから、凹の形をした凸に逢いに行くんです。
やっぱりめぐり逢えたらいいなぁ・・・。
人酔いしませんように。
もし、したら、どこかでゆっくり休もう。
御守りの頓服。
その前に恒常のそれ。
頑張って減らした・・・っていうより、最初から自然治癒方針だったから、
SSRIに関しては必要最小限のこれまたギリギリをずっと訴えてたんだよ。
医学的にどうとかじゃなくて、身体そう言っているから、そうして欲しい、って受け容れて貰えるまで、
お試ししつつも「合わない」ってなったら、種類も容量も買えて貰って来た。
そうしたら、やっとそれが証明されている専門書に出逢ったんだ。
やっぱり私と同じ事例がちゃんとあったんだ!!!!
発達障害の二次的な鬱病に対しては、鬱病先行の投薬ではなく、微細な分量を処方する事。
その書籍のISBN忘れちゃったけど、担当医は鬱病専門だから、担当医の先生に、
「お仲間に発達障害の専門の先生がおいでだと思います。その先生に、”私が読んで解る専門書籍”と、
人に見ていただいて私を解っていただける”一般向けの書籍”、
この両方をご紹介下さい」ってお願いして貸与してもらった。
おそらく担当医は忙しくて内容まで目を通さず貸与して下さった。
一般向けは30分あれば読める。専門書も2時間要らない。合計2時間30分、レ・ミゼラブルの映画よりも短い時間で、理解できた。
もちろん全部が該当しているとは思わない。けれども、これまで読んできた書籍のどれより、自分が包含されている割合が多い。
しかも肝心な投薬については、身体が訴えていた事が、専門家に実証されている事と合致した事実は大きい!!!
次の診察で歓び勇んで担当医に御礼を申し述べた。そして、
「先生!ずっと私の感覚を最優先して下さって有難うございます!貸与していただいた書籍に、確かにこの服用の仕方で発達障害者における二次の鬱状態には適切だと明記してありました!ほら、ここ、ここ!!!」
と箇所を指し示した。
担当医は一瞬驚いた様子だった。普段からポーカフェイスの先生が動いたのだから、余程驚いたのだろう。
読んでいないことなど、どうでもヨカッタ。そんな事解っていた。だから御礼をきっかけに、
診察方針が直感的だったけど、私の感じた通りで問題無い方向性であったことを、
先生の同僚のオススメと、実際の二冊の書籍という、三つの後ろ盾で証明出来た事が嬉しかった!!!
何年も掛って、論理や学術主導じゃなく、医学では全くの素人の直感が証明された瞬間。
あの時を忘れない!!!! 頑固に映っていたと思う。
けれど、私は地味に、自分をずっと信じていた。いや、自分の障害と呼ばれる感覚を大切に信じていた、つまり愛していた。
私は純度の高いものしか身体がアレルギーを起こす。
例えば装飾品でも、プラチナも900は被れない。シルバーも925は被れない。
けれども、金でもメッキなどは、すぐ膿んでくる。ピアスなんかは、ものの五分だ。
だから、お酒でも大吟醸はのめる。他は気持ちが悪くなる。
・・・それだけのことだ。
だから、数学も純粋数学が好きだ。
絵だって鉛筆一本で紙に描けるにこしたことない。
陰影をつけるのに鉛筆画は影を描く。
画用紙が白いからだ。
ベースが何か。それに何を乗せるか。
その組み合わせだって色々だけど、
ただ、それだけでもある。
それだけだ。
そこに意味論を持ってくるのは人間だ。
違いがあるから、意志の疎通に利用するために、辞書がある。
辞書が正しいとは言っていない。
少なくとも辞書の上の言語を使うと、多少のずれさえ我慢すれば、
話が通じる。
繋がれる。共有できる。
たかだかそれだけのことだ。
けれど、それは、とっても幸せだ。