懐かし過ぎて、
忘れ去ってしまうところだった感覚です・・・
ふ、 と、
何かがふっきれた気がしました。
それは安堵にも似た、
何ともいえないそれでした。
昨日は色々あり過ぎて何をどう行動してもよろしくなかったのにね。
調子が悪いせいなのか、これからなにをどうしたらいいのか瞬時に全く思考停止してしまって、
街中でも人ごみの中でも、体がこわばって、そのまま立ちつくしてしまうんです。
こころが叫びます。(倒れちゃう?今どうなってるの?)と。
そうしてまたこころが言うんです。(とにかく倒れちゃダメ。人様の御手を煩わせてしまう。)と。
そうして、意識があるんだかないんだか解らないままに、
御誘いいただいたところへ出向きました。
いま考えてみれば、それは世間一般でいうところの、
社交辞令だったり先方に余裕がない状態でおいでだったりするわけですけれど、
御挨拶さえ出来ないくらいのその様子を、
まるで予め解っていたかのようなフリーズでした。
(今じゃないよ)
(そっちじゃないよ)
それに耳を貸さなかったからこうなったのかもしれないな、と、
ふ、 と思いました。
この感覚も、 久しぶり過ぎて、
懐かし過ぎて、
忘れ去ってしまうところだった感覚です・・・
どうしても足が向かない時は、
(今じゃないよ)
(そっちじゃないよ)
という暗示だったのを思い出しました。
誰にも聴こえない、 誰にも見えない、
私だけの感覚。
不可解に思われた事が多かった幼少の頃があったので、
書けなかったんです・・・・だけど、
ブログで交流をさせていただいているうちに、
それをスピリチュアルという具現化されたものにして、
表現なさっている人が多い事に気付き、
「たまたま私の周りにおいでじゃなかっただけで、
ネットを介したら、これだけの人がいらして、
繋がるために、 発信をなさっていたんだ・・・・

自分の感覚や感性を大切にしたいので、
勉強したりカードなどの手に触れることのできるツールを用いると、
私の感覚や感性じゃ無くて、
その勉強やツールを体系化された人の感覚や感性に染まっていくので、
私は敢えて、それをしなかったんです。 けれど、
不思議と言われる感覚は、ずっと持ちあわせているようです。
よく、成人すると、消えるものだ、と聴きます。
てっきり、そうだと思っていました。 だから、 この感覚や感性は、
気のせいだ、 そう思う事にし、 例えば昨日の様に、
抗っていたんですね・・・・ だけどそれは、
私でなくしてしまっていたんですね。 無理して。
そんな事が、 一気に氷解したような感覚です。
もう、これでいいんだ、 これで生きて行くんだ、
私が私のまま、ありのまま。
ふ、 と、 それを感じた朝でした。
(あーあ・・・・ついに書いちゃった・・・・^^;)