NHK-BSで、相変わらず洞察のあさーい(意図的?)番組を放送していました。

 

「偽情報」に関する内容で、中世ヨーロッパの「魔女狩り」を引き合いに出し、グーテンベルグの活版印刷(ルネサンス三大発明の一つ)が、「魔女が災いをもたらす」というデマを一般庶民に拡散したという内容。

 

表面的には、確かにそういう一面もあるのですが、いちばん肝腎なところが抜け落ちています。

 

「魔女狩り」の原点となったのは、当時の教会関係者(司教や修道士)、つまり「権威」「専門家」が書いた書物です。

一般庶民同士の単なる「うわさ話」程度では、そこまで広範な地域に、しかも長期にわたって、デマが拡散することはありません。

人々が信頼する「権威」の強力な後ろ盾があってこそ、「偽情報」が隅々まで行き渡るのです。

もし「魔女を処刑する」という自分たちの行いが間違っていたとしても、最後は「偉い人が本にそう書いていた」と「権威」に責任転嫁できるからです。

 

しかも、この図式、「珍コロ騒動」とまったくいっしょじゃないですか!

「権威のある専門家」が、活版印刷という当時の「メディア」を使って、無知な一般庶民を「洗脳」「扇動」していったのですから。

火あぶりの炎を激しく燃え上がらせたのは「一般庶民」かもしれませんが、そもそも最初に火をつけたのは「専門家」だったのです。

 

マスクをしない人、ワクチンを打たない人に対する執拗な弾圧・人権侵害は、「魔女狩り」以外の何物でもありませんでした

 

 

番組には、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が登場します。

世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』はとてもおもしろく、勉強になりました。機会があれば皆さんも一読されるとよいかと思いますが、その続編の『ホモ・デウス』には違和感を覚えました。

人類は最新テクノロジーを使い、(ICチップを体に埋め込むなど)一種の「サイボーグ化」することで、さらなる高みに到達できる、と述べているからです。

確かに、そうなりつつある現状ではありますし、この流れはもはや止められそうもありませんが、果たして歓迎すべきことなのでしょうか?

 

決して人種差別・宗教差別をするわけではありませんが、イスラエル人であるハラリ氏には、どうも「選民思想」のようなものを感じてしまうのです。

 

亜流SF傑作回TOP15〜トワイライトゾーン&ブラックミラー編 ...

 

私の大・大・大好きな昔懐かしの米テレビドラマ『トワイライトゾーン(邦題『ミステリーゾーン』)のエピソード『生と死の世界』は、自宅に核シェルターを建設する主人公のお話です。

彼は隣人たちにバカにされているですが、ある日、ラジオが「謎の飛行物体が多数飛来中」という臨時ニュースを告げます。どうやら外国からのミサイル攻撃らしい。

主人公を笑っていた隣人たちは一転、彼の家にどっと押しかけ、自分たち家族をシェルターに入れてほしいと懇願します。でも、シェルターは大きなものではなく、主人公一家しか入れません。

「入れろ!」とわめく隣人たちと、絶対に入れまいとする主人公……

あえて結末は書きませんが、最後に主人公がこんなセリフを言います。

 

「せめて死ぬときは人間として死にたいものだ」

 

番組が制作された1960年代(冷戦時代)には、極めてリアリティーのある設定だったのでしょう。

『トワイライトゾーン』には、苦い後味の残るお話が多数ありますが、特に印象深いエピソードでした。

ハラリ氏にも、ぜひ観てもらいたいものです。

 

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 

今年2025年は、いろいろな意味で

 

「雌雄を決する年」

 

となりそうですね。

 

X界隈では、「ケネディJr.が保健長官就任に必要な支持者数を確保した」と広まっているようですが、どうなるか。

 

大事なのは、何より「情報がすべて明らかになること」です。

世界中が「買収された大手メディアの偏向報道」に踊らされ、「最低・最悪の決断」へと突っ走ってしまったのですから。

 

正しい判断材料のない世界で、民主主義が成立するわけがないのです。

 

いずれにせよ、2025年以降の数年間は、

 

空前の大量死

 

の時代となることだけは間違いありません。

腹をくくる覚悟が必要です。

 

それが我々市民の側になるのか、支配者層と金魚のフンどもが絞首台に吊られることになるのかは、まだわかりません。

 

とにかく、今年1年も頑張りましょう!

 

 

 

「頭の良さ」と聞くと、必ず浮かんでくるのが

 

「塔」なのです。

 

ラプンツェルが幽閉されていたような石積みの塔。

エジプトのピラミッドかオベリスクみたいに、上へ行くほど細くなる高い尖塔。

 

Fumio NAKADA:ノートルダム大聖堂,鐘楼への登頂記

 

人は皆、塔のそれぞれのフロアで暮らしています。

1階に住む人、2階に住む人、5階に住む人、10階に住む人、50階に住む人、100階に住む人……

 

残念なことに、生まれ落ちた瞬間に「自分の住むフロア」が決まり、どんなに頑張っても、せいぜいワンフロア上がるのが精いっぱい。

都心のタワマンのように、株で儲けたから上階に住めるというわけではなく、先天的に居住階が割り振られてしまうのです。

どのフロアに生まれ落ちるかは「偶然」と「運」次第。

 

階が違うと、窓から見える景色も当然違ってきます。

1階の住人には、芝の生えた庭しか見えません。彼・彼女にとっては、その芝生こそが「世界のすべて」。

でも、2階の住人には、芝生の先にある石垣まで見えます。なので、1階に住む人に「芝生の先に石垣があるじゃん」と話しかけても、石垣を見ることができない1階の住人には決して伝わりません。

「嘘だ、石垣なんてない! 陰謀論だ!」となるわけです。

 

そんな2階の住人には、3階から見える石垣の向こうの防風林が見えません。

だから、「林なんてない! 陰謀論だ!」となってしまう。

3階の住人には、防風林の向こうに広がる農地が見えませんし、4階の住人には、農地の向こうを流れる大きな川が見えません。

5階の住人は、川までは見えても対岸にある砂丘は見えず、6階の住人に見えるのは砂丘までで、その向こうの海を見渡すことができません。

 

階を昇るごとに、これが繰り返されることになります。

皆、自分より下階の住人が見ている景色はわかるのに、上の階の住人に目に映る景色は想像すらできません。

これが各自の「能力の限界」です。

 

そして誰もが、自分の目に入る光景こそが「世界のすべて」だと思い込んでいます。実際はごくごく狭い一部しか見ていないのに、全部をわかった気になっているのです。

でも、当たり前といえば当たり前。だって、「目に見えないもの」は「存在しない」のと同じですから。

 

芝生の庭しか見えない1階の住人と、石垣、林、農地、川、砂丘までは見られる6階の住人と、話がかみ合うはずありませんし、「共通の世界観」を持つことは不可能です。

こうして「分断」が生まれるというしだい。

 

「頭の良さ」とは、つまり「塔の何階に住んでいるか?」ということです。

 

この塔には階段がないため、簡単に上に昇ることができません。唯一上階へ移動する方法は、たくさん本を読み、読み終わった本を高く積み上げて、それをよじ登っていくこと。

それでも、せいぜいワンフロア昇るのが精いっぱいでしょう。

 

また、この塔は先細りになっているため、上へ行くほど住人の数が減っていきます。

芝生の庭を見ている1階の住人は大勢いますが、砂丘が見える6階の住人は、それよりかなり少ない。

ましてや10階、20階に暮らし、海の向こうまで見通せる住人となったら、ごくごくひと握りしかいません。

 

というわけで、自分が何階に住んでいるのかを知るためには、「同じ景色(共通の世世界観)」を持っている人がどのくらいいるか?が一つの目安となります。

自分と同じことを考えている人が大勢いるようなら、下層階の住人であることは間違いありません。

反対に、自分の考えを周囲の誰も理解できないようなら、あなたはかなり上層階の住人である可能性があります。

 

また、ある人が、あなたにはさっぱり理解できない独特の世界観を持っているなら、ひょっとするとその人は、あなたよりもずっと上の階の住人なのかもしれません(単にイカレれているるだけのおそれもありますが)。

繰り返しますが、人は自分より下層階の人間は理解できても、上層階の人の見ている景色は想像すらできないのです。

 

よく「頭のいい人ほど独りを好む(友達が少ない)」と言われるのは、同じ景色を見ている(話が合う)人がいないから。

さらに言うと、「距離」と「時間」は同じものであり、単に別角度から認識しているだけなので、遠くが見えるということは「長いスパンで物事を考えられる」ことと同義。

一般に「視野の広さ」と呼ばれるものです。

 

 

珍コロ・ワクチン騒動を仕掛けたとされる連中は、莫大な資産を築いたせいで、世間に「賢い」と思われている人々のようです。

でも、そもそも大勢の人に「賢い」と思われている時点で、大したことないことの証明になっています。本当にはるか上層階の住人なら、世間一般の大衆になんか理解できるはずないのですから。

目先の利益に飛びつき、自分たちが生きている間に急いで「(自分たちにとっての)理想の社会」を創ろうという「性急さ(視野の狭さ)」も、連中が実際は「賢くない」ことのあかしです。

 

 

 

一度、「自分は何階に住んでいるか?」について、じっくり考えてみてはいかがでしょうか。