単に「言葉の定義」の問題かもしれませんが、「ウィルスの強毒化/弱毒化」という表現に、ものすごく抵抗感があります。
広辞苑によれば、「毒」とは「生命または健康を害するもの。特に、そのような薬物。」とあります。
何をもって「毒」とするかは、甚だ難しい問題です。というより、「毒」を明確に規定することは不可能なのです。
ある生物にとっては極めて有害な物質が、別の生物にはまったく無害だったりするからです。でなければ、毒ヘビは自分の「毒」で死んでしまいます。
また、本来は「毒」なのに、進化の過程で「耐性」を獲得している場合もあります。単純に量の問題で、多ければ「毒」でも、少なければむしろ「薬」になるようなものもあります。
有害な細菌は、生命活動としての「代謝」を行い、副産物として「毒素」を排出します(簡単に言うと、細菌の「ウンチ」)。この「毒素」が、宿主の体内でたん白質を凝固させたり、分解したり、神経伝達を妨げたりすることで「直接的」に健康被害が生じるわけですが、ウィルスは「代謝」を行いません。したがって、「代謝」の産物である「毒素」を放出しません。
しかし、ウィルスに細胞を乗っ取られることで、細胞が破壊される、本来必要なたん白質が作られなくなる、不要なたん白質が作られてしまう、などの「副次的」な健康被害が生じることから、比喩的に「毒性」と表現されます。
私としては、「細胞傷害性」か「病原性」という言葉を用いたいところですが、人によって「定義」が異なるようです。
それはともかく、前回の記事を誤解されると困るのですが、私は何も「新型コロナは人工ウィルスである」と断定しているわけではありません。
さまざまなデータを総合すると、その可能性があり得る、そう考えると簡単に説明のつく部分がある、と述べているのです。
当初、新型コロナは、「遺伝子の校正機能を持っているので変異は少ない」とされていました。ところが、感染が広まるにつれ、どんどん変異が起こりました。
前回述べたように、その変異も、なぜか特定の部位に集中し、近縁のコロナウィルスにはない特殊な塩基配列があり、当然あるべき「同義置換」の蓄積がなく、途中段階の変異が見つからない(ミッシングリンク)。とにかく何もかもが不自然なのです。
もちろん、天然のウィルスが「未知の機序」により、そうなった可能性もあるのですが、現在の知見ではうまく説明できない以上、どうしても「未知の機序」という「何だかわからないもの」を取り入れざるを得なくなります。
あるいは、私のように「別系統のコロナが流行している」という、かなり苦しい仮説を立てなければなりません。(自省を込めて)別系統のコロナウィルスが、たまたま同時期に世界中で拡大する確率は、客観的に見て相当低いでしょう。
こんなふうに話が複雑になってきたときは、初心に返って仮説を疑ってみるのが科学の鉄則。「オッカムの剃刀」「思考節約」です。
新型コロナを「人工ウィルス」とすれば、いろいろなことがスムーズに説明できます。
「不自然」な塩基配列の数々は、「人為」が働いていれば当たり前。
RNAウィルスを「バイオテロ兵器」として用いる場合、どうしても「変異」と「淘汰」が起こり、次第に「病原性」を失っていくという「欠陥」がありますが、あらかじめ「校正機能」を組み込んでおけば、その「欠陥」を最低限に抑えられます。
また、デルタ株はインド、オミクロン株はアフリカで生まれたとされていますが、いずれもワクチン接種が進んでいない国というのが「暗示的」です。ワクチン接種が進んでいない環境下で「ワクチン抗体をすり抜ける変異」が生じたことになり、「自然淘汰」の原則からは考えにくい。これも「ワクチン接種を推進するために仕組まれた」と考えれば、ストンと腑に落ちるのです。
いわば「状況証拠」がそろっているようなものです。
ともかく、新型コロナの遺伝子配列に奇妙な点が多々あることは、専門の研究者が異口同音にとなえています。だからといって「人工ウィルスである」と断言はできませんが、ここはいったん先入観を捨てて、虚心坦懐に「あらゆる可能性を否定しない」スタンスで観察するほうがいいように思います。
※こんな記事を書いて、まさか命を狙われるなんてことは……まあ、宮沢先生のような有名人ならいざ知らず、一介の無名ライターの妄想ですから、大丈夫でしょうね。
誰かの気に入らなければ、記事を削除されるくらいで済むと思うのですが。