~意外な展開~

*第13~14話の間に書いておかなくてはならないことが抜け落ちていたので、こちらで書かせて頂きます。

私の姉(三女)が中学校の吹奏楽部に在籍していたとき、那覇市の石田中と那覇中が全日本吹奏楽コンクールで揃って金賞を受賞しました。

どちらの先生も「スクールバンドの神様」だと
僕は思って居ます(^^)

屋比久勲先生は僕の中学時代は小禄中に居られ、中学2年生の時に全日本へ。

久高友之先生は僕の中学時代は首里中に居られ、中学3年生の時に全日本へ。

どちらも素晴らしい先生であり、音楽と子供たちを愛する方です。

屋比久先生は私が高校卒業したときに何と鈴木先生の後任者として母校の指揮者に着任され、素晴らしいバンドを作りました。

仕事などで福岡に行くと、生徒さんたちのレッスンを依頼され、一緒に練習。
先生はそれをずっと聴講されているのです。
何故かと訊ねると

「プロの音やレッスンで子供たちの音が変わるのは当たり前。でも普段から居る人間が、なぜ音が良くなったかを知らないと子供たちの音は元に戻ってしまう」
これは鹿児島情報高校に行かれても同じでした。本当に素晴らしい!!

これは久高先生もそうでした!

僕がディプロマ科に在籍し、帰省したときに
日本管打楽器コンクールの為に練習場所を探して居たら姪っ子(次女の娘。当時中学1年生)が
「アタシ吹奏楽部に入ったから、太郎兄ちゃん(叔父さんとは言わない。気を遣ってくれてる😅)も一緒に練習に行こうよ」と誘われ、那覇市の上山中(彼女の母、つまり次女の卒業した母校です😲)へ。

何とそこには、その年から赴任した久高先生が!!

夢のようでした。久高先生ともお近づきになれる。

「練習場所?どこでも吹いてて良いよ。でも毎日1時間~1.5時間くらい生徒たち見てあげてくれないかな?」

と言われ、レッスンもしました。
その時も久高先生(実は元・プロのトランペット奏者だったのです)もレッスンを聴講していました。

お二方とも生徒の為に時間を作る。

こちらが沢山学びました。しかもレッスン料も頂戴しました。

残念ながら屋比久先生は他界されましたが、
沖縄の吹奏楽の更なる発展を願って居られる事でしょう。

今年はコンクールは開催出来ないかも知れません。頑張っている生徒さんや大人の皆さんにも残念ですが、音楽は逃げません。この先生方のように生徒さんと音楽を楽しんでもらえたら嬉しいです。
左が久高友之先生、真ん中は知念満先生、私が中学校時代からよく知る先生です。そして右が屋比久勲先生です。

本当にありがとうございました(^^)
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話を第15に戻しますm(__)m

彼女の当時住む練馬区のアパートに1本の電話が鳴ります。

相手は彼女の住む物件を扱う、不動産屋さんからでした。

この不動産屋さんは演奏家専門(音を出しても苦情の来ない)の物件を扱う会社でご夫婦で営んで居ました。

とてもユニークで、家賃の支払い方法は物件によってそれぞれですが、

銀行振込・店舗へ行って手渡し・決まった日に直接集金に来る。

のシステムでした。

その電話の内容は
「ねぇ、君の彼氏さんは去年の日本音楽コンクールで上位入賞したんだって?今日、家賃を支払いに来たホルンの○○くんから聞いたよ!一緒に住むなら今、良い物件あるんだけど2人が良かったら見に行かないか?」
とのことでした。

我々もお付き合いし始めて8年が経過し、今後をどうするか考えていました。

・・・・別れる事も選択肢にありました。

そして物件を3ヶ所、見に行きました。

その3ヶ所目を2人が気に入りました。

建物は古いが広い。

2DKで各部屋が8畳以上、台所も広い!

彼女は非常に料理が上手いので、ガスコンロがしっかり使える台所があること。

そして少し大型のグランドピアノ(音大のレッスン教室にあるサイズ)を持っていたので、部屋が広いのは必要条件でした。

私鉄の急行・準急・各駅停車の電車が止まる。
(駅から徒歩6分)
地下鉄の駅もある。
(駅から徒歩3分)

通った音楽学校(この時は僕はまだ勤めていません)も、系列の大学も1時間掛からず通える
(彼女は両校のホルン科の学生の試験のピアノ伴奏者として通っていた)

事で今の物件に決めました。

23区内・急行停車駅前・55㎡・家賃10万円。

これは素晴らしい。この辺りは駐車場を借りるのにも3万円くらいする場所です。

住むところが決まり、1998年の12月から僕が先に住み始めました。

ただし、今までが4畳半1間に住んでましたから荷物は軽トラ1回分の移動で終了。
(手伝ってくれたS.Oくん、ありがとうございました)

新居に並べると・・・寂しいくらいにモノが無い🤣🤣

そうです。部屋は9畳あるので半分のスペースで全て収まるのです(笑)

時は12月。寒い・・・(笑)

しかもカーテン無くて朝は陽当たりが良くて眩しい(笑)

10日後に彼女が引っ越して来ました。

・・・グランドピアノと共に💦

部屋は三階です。しかも大型なので階段も玄関も通りません。

クレーン車を借りて移動です。

練馬→我が家まで約3㎞、運搬費は10万円です!クレーンに吊り下げられるグランドピアノは圧巻でした(笑)

そして共同生活が始まるときに彼女のご両親から呼び出しが。

勿論、もう知っている関係でしたが、
「一緒に住むのなら籍を入れろ」とのこと。

あ、結婚を承諾してもらえてしまった(笑)

そして12月30日、もう業務は終了している区役所の守衛のオジサンに婚姻届を渡して
「はい、おめでとうございます」と。

・・・呆気なく結婚してしまった(笑)
しかも不動産屋さんが切っ掛けを作ってくれた(笑)

で、入籍したなら結婚式も挙げたい!

とのことになり、年開けてから式場を捜す(遅い!😅)

池袋の東京芸術劇場の脇にあった
『東方会館』(今はもうありません)で4月に式を挙げる予約をしました。

ところが、入籍した翌月2000年になってから、僕にパッタリと仕事が来なくなりました💦

結婚式までの約4ヶ月・・・

費用も殆どが彼女持ちになってしまいました😫

料理が美味しく事で有名な会場だったので、披露宴の料理は評判でした。

そして、音楽家は酒豪も多い(笑)ので、とにかくお酒を切らさない事をメインとし(笑)

衣装は自前(さすがにウエディングドレスは彼女のご両親が互助会で積み立てていたお金でレンタル)で結婚式。


ところが挙式当日は、有名なプロのホルンアンサンブル団体の定期演奏会と重なってしまい、同業者が殆ど来られません(泣)

メンバーからは怒られましたが、4ヶ月前に式場を決めたときに演奏会の告知は無かったのです・・・・はい、言い訳ですね。スミマセン(泣)

山岸先生も「あ、日程間違えてた。日にち変えてくれ😅」と・・・

スミマセン、ムリです(笑)

それでも親族合わせて100名ほど来てくださり、無事に式が終わり披露宴へ。

仲人さんは立てず、来賓のスピーチを
「お前は年上の女性と付き合うほうが良い」
と学生時代にアドバイスして下さった、
佐野日出男先生にお願いし(^^)

司会は高校時代からお世話になっている木村さん、そして彼女の同期会で当時アンサンブルユニットを組んでいた方にお願い。

披露宴では彼女の幼馴染み3人がキャンディーズの舞台衣装を着て『年下の男の子』を熱唱。

これが素晴らしかったし、めちゃくちゃウケました(^^)

そして僕の当時組んでいた、
TREAMクインテット(木管五重奏)

と、
オライオンブラス(金管五重奏)


写真はどちらも披露宴のものとは違いますが💦

そして盛り上がったまま二次会→三次会は当時よく通っていた江古田の『Tutti』にて朝まで・・・

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それから20年が経ちました。
彼女(里恵さん)には沢山の苦労を掛けっぱなしです。

今だに甘ったれの僕です。ここまで沢山我慢してきてくれて感謝しかありません。

これから、特に今の時期は憎きコロナウイルスの影響で二人とも殆ど収入がありません。
蓄えで暮らしています。

でも毎日楽しく二人で過ごせています。

子供が居ないぶん、『親友と暮らしてる』
感覚が僕にはあります。

里恵さん、これからも宜しくお願い致します。

そして多くの皆様に叱咤激励を受けて
今日も生きていることに感謝します。

そして、タイトルに沿って【成分表】を自分なりに考えてみました。

♪事なかれ主義40%
(揉め事は大嫌いです。意見交換や議論は好きですし必要ですが、だいたい最初に僕が意見を出して、それに対して異論が出たらそれに従うタイプです。自意識の高い人即ち、自分を誉める事は大切ですがそれを言葉に出してしまうタイプの人、実は苦手です😅自論が強い人は他人を従わせたい傾向が強いように感じるので、その場合は静かに距離を取ります)

♪特定部分への拘り30%
(多くの事に興味を持つタイプだと思ってますが、コレといった事柄にはかなりムキになります。こうなると誰が意見しても「敵」と見なす傾向があります😅面倒くさい)

♪他人は好きだが独りはもっと好き10%
(スミマセン✨天邪鬼ですよね・・・)

♪短気10%
(何人かから「太郎はいつも目が笑ってない」と言われる事があります。ごめんなさい😭)

♪誰に対しても感謝する10%
(年上・年下に限らず人見知りですが、その人の良い所を探しているのです。それが自分なりに見つかるまでは相手を警戒し続けます🙇)

私のここまでの人生、他の方には興味の無いお話も多かったと思いますが、長期にわたりお読み下さった方には心から感謝致します。

―完―

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~あとがき~

両親の事から20年前までの事を思い出しながら書き続けました。

今は音楽家にもたいへん厳しい時期です。

家に居る時間が多いので、立派な自叙伝(生き方が素晴らしい❗️)を書き上げた後輩さんから
「太郎さんも書いてみたら?」
と言われ書き始めました。

書きながら思い出していましたが、

途中で「事実と違う」と言われた事もありました。

他人を売ることに罪悪感もありました。

僕の勘違いは修正しましたが、僕自身が見たこと感じた事をそのまま書いていますので、僕以外の方の事は『フィクション』となる部分もあるかと思います。

でも当時の自分にはそのように見えて聞こえて感じていたので、不快に思われた方がいらしたらこの場ではありますが深くお詫び致します。

・・・幼稚園時代の『奴ら』には逆に詫びてもらいたいくらいですが(笑)

当たり前の事かもしれませんが、とにかく常に中立に全てのものを見る事、年齢を重ねるとそれがどんどん難しくなってくると僕自身は考えています。

その為に自分の過去を見て反省し、これからの為に役立てたいと考えて書きました。

今現在(5月13日)はとても不安な世の中です。
誰もが不安と不信感を募らせ、誰か叩く相手を常に探し続けてるような世の中の空気。

誰もが初めて経験する事態に入っていますが、人間同士が叩きあってもウイルスが消える事はおそらくありません。

こんな時に心穏やかに(懐は寒くても😅)成長を続けながら、周りに流されぬように
『自分と家庭』が成長していきたいと思っています。

里恵さんのサポートを受けながら(^^)