先週は昨日までに5回の公演、昨夜遅くに帰宅し、最近はお互いのスケジュールが合わず家で久々に配偶者さんとお喋りをしてから入浴→
就寝。
なんと10時間も眠ってしまいました。
今日は夕方から学校なので溜まった用事を済ませたりしなくては💦

で、とある記事が目に入りました。

【除夜の鐘の中止が拡大している。その理由は近隣住民のうるさいと言う苦情から】
クレームに反応した住職が中止を決断したと言うもの。

『何百年も続いている伝統』が途絶える。

人はほんの些細なことで揉めるもの。

なぜなら、小さいな事はルールや法律で縛れないからだと思うんです。

その小さなことを解決するのが
【道徳やマナーという各々の心の持ち方】

最近では
『それをやったら法に触れるんですか?私は法に触れないことをやっているんです』

平然と物を言う人がいる。

しかし、私達は列に並ぶ。

電車や公共の場で大きな声はあげない。

困っているような人を見かけたら声を掛ける。

挨拶を交わし、お互いの笑顔の中に少しずつ
人とのコミュニケーションを築く。

法律で決まっていない部分でも私達は生きている。

私達は個人です。でも集団の一部でもある。

人は1人では生きていけない。

だから、人に対して思いやり、気遣い、敬意を持つ事が重要だと思うんです。

一部の声の方が社会に反映しされ過ぎて、
多くの声を失う事が増えた気がします。

本当にこのままで良いのでしょうか。

【伝統】とは続いているからそう呼ぶ。
我々が何百年も前からある楽曲を演奏している
『音楽』
も伝統です。勿論、時代に合わせた修正を加えながら未来へ繋げていく。
我々はその1ページの『語り部』に過ぎませんが(^^)

一度途切れた伝統を復活するのは非常に困難ですよね。

勤務校のオーケストラは、かつて学校の所在地の『区』との共同企画で【第九】
の演奏会を毎年やっていましたが3年前かな?企画そのものがなくなり、学生や学校のオーケストラの『大きな対外公演・そして大曲へのチャレンジ』の経験を失いました。その後も企画が出ることは現在もありません。
(毎年、チケットほ殆ど完売だった)

なにか大切なものがどんどん失われて行ってる気がします。

【温故知新】

なる言葉そのものも消えてしまうのかな・・・

意見を出すことと不満を洩らす事の区別が無くなって来てるような気がします。

今年もあと僅か、ちょっと時間が出来たら
そんなことを考えてしまいました。