北海道・青森→学校を挟んで九州ツアーから帰京。
今日は先月末に受けた健康診断の結果を聞きに&薬の処方を頂きに病院へ行きます。

以前から書いてますが「医師にかかること」と「楽器のレッスン」はとてもよく似ています。
不調の原因を一緒に特定し、効果的な「練習方法」を考える。
突然に病が治ることはありません。
そう、突然に上手くなる事もありません(笑)

あ、タイトルと違うお話を書いてしまいました。

僕はSNSを多く活用し、ほぼ毎日投稿しています。
これには僕なりに理由が幾つかあります。

①生存(生息エリア😅)記録。

私は全国から集まる「全日本医科学生オーケストラ」「西日本医科学生オーケストラ」のトレーナーも務めているので、全国に友人が居ます。
学んだ高校や音楽学校も各地から集まって来ているので、各地に行った時に(都合が合えば)再会出来る楽しみがあります。
勿論、双方に時間が合わず再会出来ない事も多いのですが、それでもSNS上にコメントを貰えると元気なことが確認出来ます。

②文章を書く(想像・創造する)トレーニング。

勿論、直接会って「顔を合わせて」話す事、または電話ででも「直接、声を聴く」事が1番であることは理解していますし、文章だけでは誤解も生まれます。文章を見た人の解釈が書いた側と違う事の方が多いからです。
でも、これはネガティヴだけな事でもありません。
いちばん身近な例は「楽譜」です。
作曲者と演奏者で解釈は変わります。時に失敗もあるでしょうが、味わい方が変わるので新たな楽しさが生まれる事もあります。
(真偽を確認していませんが、料理でも「肉じゃが」はビーフシチューのレシピの誤解から生まれた産物だと聞いたことがあります)

勿論忠実であればあるほど良いという考え方も素晴らしいです。たまに古楽オケのお仕事を頂戴しますし、とても楽しい発見の連続ですが、演奏会場の空気やその周りの「文明」の音やスピード(馬以上に速い乗り物はなかったし、カリヨン以上に大きな音は存在しなかった訳ですから)には多少の違いはあります。

③その他。
雑感や独り言、特定の人への「サイン」などをたまに使います(笑)

とにかく文章を創る訓練として投稿しています。

僕は中学卒業と同時に故郷を離れ、両親と30年以上、離れて暮らしていました。
幼稚園の入園式・高校の卒業式・音楽学校の入学式、この三つのみ来てくれましたが、近況連絡(当時は電話か手紙)をもっと頻繁に行い、今のような事がいつも伝えられれば良かったと後悔しています。
父にはプロになれた僕の生の演奏を聴いてもらう事は叶いませんでした。
母や姉たちには何度か聴いて貰うことが出来ました。

そのような理由からSNS投稿やblogでの長文を「生存証明」として毎日しています。

勿論、鬱陶しいと思われる方も居られましょうし、「あれは不特定多数が目にするものとして相応しくない」と思われる事もあります。
その時には、諭して下さったりご意見を下さる方も複数名居られるのがとても有り難いです。

稀に「生徒や家族の事で」納得の行かない事をされた場合にSNSを「武器」にする事もありますが、文章だけでは平行線になることの方が多いので、やはり直接お話するのが1番ですね。

なので、私の投稿は「いいね」や返信を欲している訳ではありません(笑)
お気遣いでの「いいね」は頂かなくても大丈夫ですし、毎日見たくないという方は閲覧解除して下さっても勿論OKです。

どなたにも信念がおありなのですし、
『物事は必ず両面がある』
と思っているので自分の意見の同意者を増やす目的は一切ありません(笑)