「簡単にクリアされたら悔しい」の前に「簡単に欲しいものが手に入ると、ユーザーのモチベーションが下がってしまう」と言いますが、簡単に欲しい物が手に入ったら手に入れるための時間が浮きますし、他にやりたいことややってみたいことを考える時間が出来ます。


サラリーマンのように土日20時間以内「一泊二日」でエンディングまで進められるようにしないと遊ぶことが出来ないプレイヤーもいます。その部分は「バイオハザード」や「龍が如く」で志向されていました。


また、現在ですと香川県の条例のように平日60分(3600秒)、休日90分(5400秒)までしかプレイが出来ないプレイヤーもいますし、昔からなら眼科医の指導で30分(1800秒)や20分(1200秒)までしかプレイが出来ないプレイヤーもいます。画面のブルーライトや強い光が苦手で20分(1200秒)すらプレイが出来ないプレイヤーもいます。


「困難なチャレンジをクリアして、車を手に入れる達成感を味わって欲しい」と言っても先述のように「一泊二日」や20分(1200秒)以内で車を手に入れたいプレイヤーもいます。アーケードはインカムの関係からそれが通っていた時代がありましたが、今はそれほどではありません。今そういう傾向が強いのはソーシャルゲームの世界でしょうか?


その部分ではカプコンの「アウトモデリスタ」ではお金の概念を無くして課題をクリアした証として車が与えられました。ナムコやエレクトロニックアーツのレーシングゲームはストーリーラインに合わせて「支度金」が用意されていました。


反対にフロムソフトウェアの開発者とそのプレイヤーみたいに開発者の出した難しい課題に対して鍛練や錬成を重ねたプレイヤーが応えていくという、半ば武術や競技のような世界の信頼関係を構築しているゲームもあります。そういった関係を構築したいのでしょうが、それをやったのがケイブなどのシューティングゲームで実質物理的にクリアが不可能と判定され、先鋭化していき先細りになって、衰退していきました。


そういった「ショートケーキの上にあるイチゴ」みたいなものを求めているのでしょうが、ハードウェアを擁するプラットフォーマーたる大企業がそういうやり方でプレイヤーを集めてセールスを求めていくことに対して、株主の方々はどう思っているのでしょうか?


だから前作で24時間(1440分、86400秒)遊ばせていたのが次回作で24分(1440秒)まで縮められ、前作の前作では倍速によって最大8時間(480分、28800秒)まで縮められていたのに。もっと前の作品で20分(1200秒)でゲーム内通貨として5000万貰えていたことが「簡単すぎる!」と批判されたのが堪えていたのでしょう。しかしながら実際プレイヤーというものはリアルであるかどうかよりも気持ちいいかどうかをゲームに求めています。


「ドライヤーで髪を乾かす感覚」

「弓を張り詰める感覚」

「バネを弾く感覚」

「エレキギターの弦を張る感覚」

「足のかかとで歩くような感覚」

「自分が歩くよりも狭い間隔で歩数を重ねていく感覚」

「靴のヒールを立てて歩く感覚」

「バスドラムの音がイヤホンとイヤホンの間を動いていく感覚」


そういう感覚を特許などで固めて、抜け目なくしているのだろうとは思いますが。


「その一時の快楽が欲しいなら映画館に来て映画を観ていればいい」と思っているのでしょうが、その「一時の快楽」の扱いに長けているのがパチンコやスロットなどのアミューズメント業界です。お客さんはサラリーマンで毎日仕事しても誰からも誉められず評価されず、上司や顧客から叱責を受けて自尊心が底を突いている。サラリーマンが店に入って金属の玉を一つ打ち上げて穴の中に入ると、ファンファーレとともに「仕事」の成功を称えられて、自尊心が上を向き、ノルマが達成できず仕事が成功しなくても仕事の労苦をねぎらわれ、汗をタオルで拭いてもらえる・・・それは二歳の時の就学前クラスでの玉入れで入れたら誉められて入らなくても誉められて、終わったら最後までやったことを誉められたような感覚です。それが「レースドライバーグリッド」のようなマネジメントの要素が入ったゲームになると、自分がレースに勝てなくても「勝つ」ことが出来るようにスポンサーを設定することがチームメイトも一緒に勝つことにつながり、8個スロットがあって4個をレース完走、2個をポイント圏内あるいは入賞、最後の2個が表彰台あるいは優勝とするとチームメイトがリラックスして成長することにつながることもあります。


それらの繰り返しがパチンコやスロットの業界が続いている理由です。他には子供の頃に憧れたり恋をしたりしていたヒーローが目押しや連打、タイミングを合わせてボタンを押すことというお客さんの操作で運命が変わっていく、というのもパチンコやスロットの技です。そのヒーローの運命が悲劇的であればあるほど、お客さんのその喜びは大きくなります。