1997年に発売したクラッシュバンディクー2、1996年に発売したレイジレーサー、1995年に発売したリッジレーサーレボリューションを見ますと、プレイステーションが発売した後と発売する前では順番の決め方が大きく違うように見受けられます。


クラッシュバンディクー2は5つのセクションがありまして、セクションごとに5つずつステージがあるという構成になっていて、「得意なステージから進めていく」という想定が強く反映されていた印象があります。レイジレーサーも5+αのクラスの中でクラスごとに用意された3+αのコースを順不同で進めて良いということになっていましたし、リッジレーサーレボリューションも数が違うとはいえ、構成や想定が近似していました。


スーパーファミコン以前ですと、1983年から1985年に発売されたマリオブラザーズやスーパーマリオブラザーズ、1990年に発売されたスーパーマリオワールドのように「作った人達が考えたストーリーライン(シナリオ)に基づいてゲームを進めていく」という様相が強かったと思います。


他のゲームなら例えばRPGのように最終ボスが主人公の仇敵で配下の所有しているアイテムなどを集めて揃えていかないと倒すことが出来なかったり、最終ボスとその配下が所有している強さに基づいたヒエラルキーに合わせて、アイテムの手に入りやすさが変わっていたり、特定のボスを先に倒さないとプレイヤーが先に倒したいボスが倒せなかったり、していたことが多かったとは思います。そうしますと、副次的な要素としてボスキャラクターそれぞれにパーソナリティや個性が付与されるようになって、プレイしていたプレイヤーの間で話題になっていたと思います。


ちょうど、算数ドリルをこなすようにいかに能率的、効率的に進めて時間をいかにかけずにクリアしていくような競技的な要素ではなく、国語の教科書のような文学や文章を楽しむように情景や感情、心情的な部分でゲームを楽しんでもらうような感覚が優先されていたと思います。


数字で楽しんだら数字が尽きたら楽しんでもらえなくなり、夢中や熱中、依存や中毒という部分で楽しまれるとそれら四つを凌駕したり、対向して強かったりする要素が現れたらそれも楽しんでもらえなくなるので、思い出や記憶、今の時代の言葉で言う「エモい」、「エモーショナル」な部分で楽しんでもらうことを決めたのだと思います。しかしながら、それが極めつくと「タトゥー(入れ墨、刺青、人体などの表層に示されたなにがしかの意志や記録などを表明、あるいは証明する絵図や図柄)」になっていくと思います。


一方で競技のように時間を競うという要素は1991年の「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」や1986年の「メトロイド」の時代にフィーチャーされて、点数の面では1978年の「スペースインベーダー」でアーケードゲームの世界でフィーチャーされ、ビデオやコンピュータゲーム以外の世界では諸説ありますが、1860年頃に中国で発祥した麻雀でフィーチャーされました。


繰り返すようになりますが、今の言葉で言う「エモい」、「エモーショナルである」という部分でゲームが制作されていたのが1993年前後までのゲームという遊びのデザインであったとは思います。


それは1996年に発売した初代クラッシュバンディクーもそうでしたが、恐らくクラッシュバンディクー2を開発するにあたって、シナリオの設計の主観性が高くなり、自由になる度合いが少なくなりやすくなる可能性が高くなると考えられていたのでしょう。ただ、クラッシュバンディクー2の場合は前作で主人公に敗北した敵役が主人公を利用して勝利するのに必要なアイテムを能率的かつ効率的に収集させるというシナリオはありましたが。


良く日本人の思考体系として「権利の前に義務を果たす」というものがありますが、これは「料理がなければ食事はできない」「鍵がなければ家に入れない」というための論理であったと思います。


これがゲームに置き換えられると、フラグ管理としてオブジェクトで管理していたのがオブジェクトを処理あるいは遂行した個数という進捗で管理するというようになったからかもしれません。


したがって、時間より順番を優先するという設計のゲームなどは1993年以前のプレイステーション以前のゲームに多かったという、ただそれだけであったと思います。