先週、母方の叔父の訃報が届き、葬儀に行ってきました。


母が今87歳で、そのすぐ上のお兄さん。

3つ上だから満年齢90歳、位牌などには数え年で記載するから91歳。


一年ほど前から入院はされていたそうだけど、大往生でございます。


うちの父が2年半前に亡くなったときや法事などにも、もう来れなくなっていたから、本当に何十年もずっと会っていませんでした。

と思ったけれど、8年前にこの叔父の奥さんである叔母が亡くなっているのでその時に会っているはず💦


でも、私が子供の時、母方の祖母の家に2年くらい預けられたときがあって、その時にこの叔父の家が近くにあったので、私が6~7歳の時だったけれど、弟と2人で歩いて良く遊びに行っていたものです。


この叔父の家には3人の子供がいるのだけど、私と弟が行けば5人の子供となって、今思えば大変なことだと思うのだけど、この家の叔父と叔母は本当に良くしてくれたのを覚えています。


ただ、表面の記憶と言うのは一部分なもので、特に私は子供の頃のことはほとんど覚えておらず、断片的な映像と良くしてもらったと言うイメージでいるのだけど、今だから正直に言うと、そんなに良くしてもらったのなら特に叔母のことを大好きとなるのが普通と思うけれど、それが、恩義は感じているのだけれど、好きとまではいかず、今思うに、良くはしてもらっても子供心に何らかの叔母の暗い気持ちを感じ取っていたのではないかと思うのです。


だから心の距離だけはどうしても感じていて、

でもそれを無いことにして封印してきて、触れないようにしてきて、でも、だからこそ、葬儀の場でも叔父と叔母の話をしないように、この家族のいとこ達ともなるべく離れるように無意識に行動していたと今気付いたのです。


こうして書いているうちに自分の心の隅にあった感情をすくいとることが出来て、そして私ももう大人になって、当時の叔母の気持ちもとても共感できるようになっていて、だから、当時の小さな私にも、当時の若かった叔母にも、分かるよって、いいんだよって、そう言ってあげられる。


こうして書いているうちに、無かったことにしていたところにスポットライトが当たって昇華され、ドンドン気持ちが軽くなっていくのが分かります。


その「時」を一生懸命生きていた、ただそれだけ。

一生懸命生きてありがとう!

変な日本語だけど😆


叔母の方は8年前に亡くなっているので、今頃は懐かしく再開していることでしょう。


そういえば、2年生の時に母が再婚して祖母の家から引き取られて千葉に越してから、この叔父叔母の長女の私より3つ上のお姉さんのお下がりのお洋服を何度か送ってくれたことがありました。


この叔父はとてもお洒落さんで、子供服もお洒落で良い品物で、お姉さんのお下がりがとても嬉しかったのは良く覚えています。

特に今でも思い出すのはジャガード織りの生地で前がダブルの合わせになっている白いジャンパースカート。お気に入りだったなあ。


だけど、この家の一番下の子も女の子なのに、その子に取っておかないで、私にわざわざ送ってくれていたんです。


子供の時はただ嬉しいだけだったけれど、大人になって思い返してみると、人の心の機微が思われて、ただ有り難いと感じます。


そういう意味では年を取ると言うのも悪くはないかもしれないですねニコニコ


このお洒落な叔父さん、数えで91歳。

きれいにお化粧もされていたけど、めっちゃ美男子さんでした。

あれっ?この叔父さん、こんなに美男子さんだだたんだ!って思わず言ったら、横にいた母の妹の叔母が、そうなのよ!若い頃は俳優さんと間違われたくらいよ!って言っていました。


左官やさんだったから、そっちのワイルドなイメージが先行してたけど、イケメンさんって今頃気づいてごめんなさい爆笑


ホントに美しいお顔で、もう悟られたお人のように見えました。


叔父さん、叔母さん、

ありがとうございました。

お疲れさまでした。