外に顕れていることはすべて内にあるものということが
頭では分かったつもりになっていましたが
表面だけの理解でした。


今、目の前にいる人が見せてくれていることは、私の中にあるものだって思っても、
今の私とはまったく違うし、
いやいや、今はないですよって思ってました。


そして、もしそれが自分の中に有るなら、
そんなの嫌だ、耐えられないと思ったときに
別の角度からのアプローチで救われたのが
この時の記事です。




だけど今回は、
目の前の人が見せてくれていることは
私の中に有ると言うことが
電車に乗っているときに
ふいに分かったんです。


分かったというのは
どう解釈すればよいかと言うことが
分かったと言うことです。
これは間違っているかも知れないけれど、私にはしっくり来るので、私の中からわいてきた答えだから、私にはあっているのだと思います。


小梅先生の時空を越えるセラピー(前世療法)では、
私の細胞の一つ一つに記憶されている中から、〇〇に最も影響を与えている過去世の記憶というかたちで過去世を呼び覚まします。


私の細胞の一つ一つにはたくさんの記憶が刻まれています。

その記憶を目の前の人が見せてくれているのではないかと。

まだ、この記憶の欠片が残っているよ。

これを昇華させてあげなさいと教えてくれているんだと感じたんです。

だから目の前の人は「私」なんです。

過去の「私の姿」なんです。

あの人を赦すことは、過去の私を赦すことに通じるのだとそう感じたんです。


過去世療法では数有る過去世の中から
特定の大きな出来事だけしか取り上げられません。

シータヒーリングの授業の中でも
過去世がたくさん出てきたけれど、
これはいくらやってもキリがないと思いました。


現実に出会う人、物、事、すべてが自分の中の記憶から出ているのなら、
それを受け入れ赦しクリアにすることは
毎日過去世療法をしているようなもの。

それこそ、取りこぼしはない。


あの人がしていることは
過去の私もしていたこと。

それを受け入れ、赦すことは
過去の私を昇華させること。


あの人を受け入れ赦すことは
私を受け入れ赦すこと。


そう思ったら、とても腑に落ちたのでした。


だけど、目の前の現象は過去の私を映し出しているけれど、
それを表現している現実のあの人はもちろん私ではなく、
リブログした中の神寄木賀集さんの記事に
あるように、
同じ時を懸命に生きるスピリットの
仲間なんですね。



うまく説明できたかどうか分からないけれど、
たぶんもっと高い次元からの見方では
違うのかもしれないし、
自分自身ももしかしたらまた違う捉え方が出てくるかも知れないけれど、
今はとてもしっくりくるので
この方向でまた日々精進して行きたいと思います。



今日もお読みいただきまして
ありがとうございましたコスモス