29日の日曜日に仕事に行ってから、
月曜日からお籠り生活が始まり
仕事が4月18日まで無くなったのです💦
お籠り6日目となりましたニコニコ


この数日はよく泣く日々でした爆笑

悲しいとかそういう感情の涙じゃなくて、
理由なんていらない
魂が震えることで現れる涙でした。


ブログを読んでは泣き、
辻井伸行さんのピアノを聴いては泣き、

昨日はジブリの映画
「思い出のマーニー」で泣きました照れ


このお話し、大好きなんです。
「好き」だとちょっと語弊があるかな?
ニュアンスが少し違うけど他に言葉がわからない笑
何度見ても、分かっていても、
最後に泣いちゃうんです。


主人公の女の子の
「あなたも私を置いていくのね」との
ひとり置いていかれる寂しさ、
私はひとり……      その気持ち    わかる……


反対に今はお祖母ちゃんの気持ちが
痛いほどよくわかる。
お祖母ちゃんの手が孫の手を取る
そのひとこまのシーンだけで泣ける爆笑


主人公の女の子が小さい時に
寝かしつけられるときにお祖母ちゃんが
自分の昔の話をしてくれた回想シーン


自分が小学生の時にお祖母ちゃんの家に泊まりに行った時のことを思い出しました。

となりに寝ていたお祖母ちゃんが
おもむろに自分の若い頃の
辛い出来事を話し始めたのです。

女性としての辛い悲しい出来事。
私はビックリしたのと好奇心とで
「そのあとどうしたの?」って聞いたんです。

でも、それは聞いてはいけなかったと
すぐに気付きます。

なぜならお祖母ちゃんはそのあと
お話しを止めてしまったから。

怒ったのではなくて、
自分の思い出の中にひとり入ってしまったようにも見えました。

私は不用意な言葉を出した自分が
恥ずかしくなりました。
そしてそのままお祖母ちゃんをひとりの世界にして、
私は静かにその世界から離れたんです。


私は5歳から7歳まで弟と一緒に
祖母に預けられて育ちました。

マーニーの主人公はたったの一年で
お祖母ちゃんと死別になってしまったけど、
ちょっと似てるね。

お祖母ちゃんはそのあと孫の私と弟と離れるのはつらかったろうな。

でもきっと、遠くからいつも私たちを見守っていてくれていたんだと思います。

今になってそれがよくわかります。



マーニーのお話しを見ていると
主人公の中に私を見て、
マーニーの中に私を見て、

赤ちゃんの頃の女の子の中に孫を見て、
その子を見る眼差しの中に私を見て、

子供の気持ちになって、
大人の気持ちになって、
お祖母ちゃんの気持ちになって、

そして物語の中の人たちは皆それぞれに
愛に溢れていて、

いつも愛はそこにあるのに
気付かないときは自分が目を閉じていて、

でも、ただ目を開ければいつもそこにあって、
気付かなくてもいつもそこにあって、

自分の欲しい形じゃないかもしれないけど、
違う形をしているかもしれないけど、
でも、中にはちゃんとあって、

だから世界は泣けるほど美しい。


思い付くままに書いていたら
何が言いたいんだか
良くわからなくなりましたはてなマークあせる



話は全く変わりますが、
一昨日、主人がちょっとやらかしてくれて
私の怒りを買いましたプンプン

一瞬怒ったものの、
なぜ怒るの?と考えたときに
それは「恐れ」から来るものでした。

こうなったら困る💦と言う「恐れ」

それを恐れるために
そうならないように主人をコントロールしようとしていたのでした。

ただ、健康に関わることなので、
私も相手をどうこうするのではなく
自分が出来ることをしたら

恐れを手放し、
あとは起こることはすべて引き受けようと
決心しました。

恐れて逃げるのではなく
恐れは手放し(恐れも認め受け入れ)
それでも必要として起こることは
すべて引き受けます、受け止めます。



先日もこの記事で書いたように
こうなったらどうしようと言うことが
ありました。


早々と結果が出ました。

マイナスなことになるかもしれないと
それを受け入れる準備もして、

まぁ、良くてもブラスマイナスゼロかな!?
それなら御の字だねと思い、

どうなっても大丈夫の境地でいました。


そしたら!
まさかのプラス方向への転換でしたびっくり


それを期待しては全くいなかったので
驚きでした!


ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

すべてにありがとうございます。



私の引きこもりはあと2週間続きます。

皆さんが安心の中にいつもいられますように。

愛を込めてラブラブ


今日もお読みいただきまして
ありがとうございました合格