十何年か前に読んだこの本

「ヒマラヤ聖者の生活探究」


当時は本を読むのが大好きで
一冊を一晩で読んでいた私ですが、

この本は4ページ読むと、
眠くて眠くてどうしても次に進めなくて、

5巻読み終わるのに
年単位でかかりましたアセアセ

まだ、波動のことも良く知らなかった時でしたが、

今思えば、
私には本の波動が高すぎたのでしょう

文字を追うだけで内容もあまり理解はできなかったけれど、
分からなくても絶対に全部に目をとおさなくちゃ!と思ってやりとげました爆笑


今、ふっと思い出して
読んで見ようとページを開きました

第1巻の題名がこれ



「人間本来無限力」

もう、はっとしました!!

まさに今の私のキーワード

ここを知りたい、
ここを体験したい
そうなったらどうなのか知りたい
究極にはそうなりたい

それが分かればみんなに教えてあげられる
助けてあげられる

だけど、高次の自分に
「望みはすべて棄ててください」と
言われてしまった私……

棄てたつもりが棄てきれず……

だって、本来の人間の姿を求めることを棄てるって、それってどうなの⁉

そういうことを言う、高次の自分ってのもどうなの??(怒)

と、まぁ、ぐじゃぐじゃしておりました笑い泣き

そして、ぐじゃぐじゃな私に
ちゃんとお答えはやって来ました


yumiさんが少し前にシェアしてくださった
この記事にお答えがありました

悟りの道において、
悟りではなく能力を身に付けることに傾き
重きをおいていると悟ることは出来ない

私たちの本質は霊的な存在なので、みんなその能力を持っているのは当たり前で、その性質を備えているのは当たり前で、だからこれを求めてしまうとずれてしまう

悟りと言う本質に繋がっていく、本質を満たしていくということに意識を向ければ、それはおのずと現れてくること


思えば、いつからか?自分の奥底で
人間って本当は何でもできるはずなのに
出来ないのはなぜなんだろう?
そこを知りたいと思うようになっていました

いろんなことをやってみて
最後に私を生きるセラピーで
とーっても私自身が軽くなり
少し前に進んだことで

そこを知りたいこと、
いろんなことが出来るようになることが
今までは遠い遠い世界だったのが
少し近くに感じられて
執着に変わっていたのだと思います

そう、手放すべきは
「望み」ではなく「執着」だった!

でも、これって最初は
分かっていたんですよ爆笑

自分でブログに書いていますから、笑

高次の自分に
「望みはすべて棄ててください」って
言われたときのことを書いたこの記事

ここでは「望み」を
「人間本来の力」ではなく
「できる」という言葉で表しています

なぜなら、人間本来の力なんて大きなことを言うのが恥ずかしかったからアセアセ

でも今は言えるようになりました!

そして、このブログに書いた時は
頭でなく素直にハートで聞いたので
執着を手放すってことなんだと
ちゃんと感じて
そう書いていたのですニコニコ

それがだんだん頭で考えるようになり、
「望みは棄てる」が私の手枷足枷に
なっていました

もっと違う表現をしてくれたら良かったのにとも思いましたが、

それもまた、自分のなせる業だったのです

すべては自分の内から起こること

自分の内側の反映
気づきをもたらしてくれるもの


今日はこの本を読んでも
4ページで眠くなることは
ありませんでしたウインク

10数年前よりは波動が上がっている⁉

そうでなくちゃねぇ爆笑

はい、まだまだ、これから精進しますキラキラ

今日もお読みいただきまして
ありがとうございましたラブラブラブラブラブラブ