【昨日のビール】
ロング缶:本2
芋焼酎ロック:5杯
【昨日の実績】
ウォーキング:◯(13000歩)
お菓子断ち:×(バタピーを大量)
昨日は平凡な晩酌だった。平凡といっても普通の人からすると飲み過ぎといった量だろうが気にしない。私は異常。普通の人より酒をたくさん飲む変態であり、ただの大酒飲みなのである。なので気にしないで良いのだ。何を気にするのかはわからないが、、、
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今、LINEスタンプが熱いのをご存知だろうか。なんと、10月25日まで超使い放題ウィークなのである。課金もなく、登録不要なので好きなスタンプをダウンロードし放題、使い放題なのである。これは使わない手はないということで、動くスタンプ好きの私は面白系のスタンプをダウンロードしまくった。そして使うのであるが、これがなかなかウケが良い。クセが強すぎる、などという感想を周りにもらいながら、フフフとほくそ笑んでいる自分がいる。承認欲が満たされる瞬間である。
こんなやり取りをして喜んでいるのは変態パパ活仲間くらいなのだが、今週末にどこかの坂を登りに行こうという変態メッセージが届いたのだ。
私よりも一回り以上年下のパパ友連中なので、やる事が若いから一緒に遊ぶのも命懸けである。キツい坂道を自転車で登って喜ぶのだ。これが変態の真骨頂である。そして、そんな話を聞いて、エッ?あの峠登ったの?スゲー!などと褒める人もまた変態である。そして褒められた方も変態承認欲が満たされるのである。ウヒヒ。
話が逸れた。昔はLINEなんていうものはなく、そもそも携帯電話もなかった。それがどんどんと進化を遂げて、あっという間に手のひらに乗せられる超高性能小型コンピュータが手頃な値段で手に入るような世の中になった。私達が子供の頃には考えられなかった本当に夢の世界のようである。
時代の流れにのって、私もレッツ東京デジタルホンをキャリアとして生まれて初めての携帯電話を持った。遅咲きのモバイルフォンユーザーは、どんどんと新しいものが欲しくなり、いろいろな機種をわたりあるいて今はiPhoneを愛用している。
そんなモバイル端末遍歴の私なのだが、LINEを使い始めるのも遅かった。最初にインストールしたのは5年前くらいではないだろうか。なぜそうなったかというと、LINEに対して非常に懐疑的なイメージを持っていたからである。
よく人から聞いていた怪しげな機能として、見知らぬ人や、ずいぶん前の知り合いなどのアイコンが突然画面に現れて「知り合いかも」というメッセージが出るというではないか。これは恐ろしいことである。
私はLINEのアプリが私の携帯の中に入っている連絡帳に勝手にアクセスしてその情報をLINEの経営会社のサーバーに吸い上げ、データを突合して、繋がりのありそうな人同士をピックアップしているのだろうと考えた。これは非常に恐ろしいことである。私の個人情報や知り合いの連絡先を勝手に吸い上げるのだ。たぶん、アプリをインストールする時に小さな文字でいろいろと書かれた利用規約のようなものに承諾させられるのだろうが、そのようなツールを使う気には到底なれなかったのだ。
そんな感じで、LINE不使用運動を繰り広げていた時代遅れのオジサンに、当時の若手社員が優しく教えてくれた。
「インストールする時に、勝手にデータを取らないように設定できますよ」と。
おお!そうなのか?なんでもっと早く言わないんだ!私はすぐに納得した。なんせ周りはみんな、すでにLINEでのやり取りがスタンダードになっているのだ。知り合いは「LINE交換しようよ」とコミュニケーションの最初の挨拶のように言っている世の中になったのだ。
恐る恐るスマートフォンにLINEをインストールした私はそれからというもの、知り合い、親戚、家族、学校、公共機関、病院など、いろいろなやり取りの窓口としてLINEを使うようになった。
スタンプも使うようになった。やり取りの最後の締めに使ったり、面倒臭い相手などにはスタンプのみで返すこともできるので非常に便利なのだ。初めのうちは最初から入っている熊や白い坊主頭の得体の知れない生き物やロン毛のイカしたお兄ちゃんがグーッといっているスタンプを使っていたが、そのうち無料スタンプがあることを知り、そればかり使うようになった。
スタンプを使っているうちに、他の人と違うスタンプが欲しくなる。子供や妻たちはすでにいろいろなスタンプを購入して使っている。これでやり取りをしてそのスタンプ、面白いとか、可愛いとか言われたいのもよく分かる。これも承認欲が満たされるケースだ。
そして、このようにアメブロ上でブログを書いている我々の中で、承認欲を満たしてくれるのは「いいね」だったり、コメントだったり、ランキングの順位だろう。これは非常に気になるものだ。一生懸命書いたけど、いいねがもらえなかったり、ランキングが下がったりすると、なんだか気持ちが下がるような感じになるし、たくさんいいねをもらったり、順位が上がると気持ちも上がる。そうなると、もっと頑張って書いちゃおう!となるのだ。激しい承認欲求の末にいろんな感情が生まれてくる。仮想の空間でいじめを受けて犯罪を犯す人がごく稀にいるが、なんだかそうなる原因が見える気がするのだ。絶対に犯罪者にはなってはいけないのだが。
何を書こうか考えもせずに今日のブログを始めた。しかしそろそろ結びのくだりに行きたいところなのだがうまいことが思いつかない。
ブログを始めたのは10年ほど前だったが、すぐにやめてしまった。そのまま放っておいたのだが、なんとなく再開したのが昨年の夏だった。なのでそれから一年が過ぎたことになる。10年前はなんとなく知り合いがやっているのを見て始めたのだが、再開したのはなんでだろうと考える。
子供達が大きくなり、私と遊んでくれる時間がどんどんと少なくなってきた。そうなるとオジサンは時間が余るようになってくるのだ。いろいろと趣味を見つけて時間を潰すのだが、それでも時間が余る。時間は余るのだが、人生の中で残された時間はどんどん短くなっていく。しがない大酒飲みのサラリーマンとして生きてきたが、この我が人生のログを誰かに見てもらって承認してほしい。生きた証というとたいそうだが、ザッとそんな感じのものがこのブログを書く事に値するだろう。
そして承認してもらいたい相手は誰かというと、やはり私の家族ではないだろうかと思うのである。このブログは誰のために書いているのか。自分のことを書くのだが、自分の中をいろいろ巡って、最終的には家族に見てもらいたいと思っているようである。
私が生きた証。毎日ビールを飲み倒す、大酒飲みのお父さんの遺言のようなものなのだ。
なので、死ぬ前に必ずこのブログの存在を家族に教えないといけない。そうしないと死んでも死に切れないのだ。
今すぐという感じではないだろうが、いつかきっとやってくることである。
そして最後は「大変よくできました」と花丸スタンプを家族に押してもらい、満たされた人生の終わりに「いいね」を返したいのである。