4月30日の日曜日。ゴールデンウィーク2日目であり、4月は今日で最後。あすからは5月になる。早いものだ。
この日私は因縁の対決相手であるかかりつけ医の受診日であった。朝一番で予約したので7時台に家を出て歩いてゆくことにした。この日はなんと言っても4時半に起きて息子を駅まで送って行ったので早起きにも程がある超早起きをした休日の朝。なので時間はたっぷりあるのだ。
なんだ、なんだ?
病院に向かう途中モノスゴイ長蛇の列ができていた。歩きながらでは全貌が見えない。近くの雑居ビルに登ってみた。列は5キロほどで、おそらく20万人はいるだろう。全くの嘘だが、、、
振り返ってみる。
おぉ!ここはサンリオピューロランドではないか!キティちゃんに会いに全国からちびっ子やマニアが集まる夢の国なのである。それにしてもすごい人だった。さすがゴールデンウィークである。
なかなかお目にかかれないので写真を撮らずにはいられなかった。いいものを見たとひとしきり感心してからまた目的の病院へ向かい歩く。
その日、かかりつけ医との対決は特に何も起こることなく穏やかな診察となった。しいて言えば、GW特別料金を600円ほど多くとると言われたことくらいか。あっという間に終わり薬の処方箋を持ち帰った。
帰り道に歩きながら考えた。今日はこのあと特に何も予定はない。はて、どうしようか。時間はたっぷりある。最近ランニングばかりしていたのでたまにはウォーキングでゆっくり散策でもしようかな?とひらめいた。Lotusさんのブログを見て歩くのもいいなと思っていた矢先だったからである。
では早速出発。方向転換して公園を通り抜ける。
東京のはずれの公園は新緑に包まれていた。
孟宗竹?もきれいだ。
立派な古民家がある。子供たちが小さい頃、何度か見学に来たことがある。
ここはその昔のテレビドラマ「毎度お騒がせします」の舞台となった街だそうである。よく見ていた。
ずんずん歩いてゆくと景色の良いミニ展望台に出た。晴れた日はここから富士山が見える。
遠くにケーヨーデイツーが見える。ここで本日の目的地を定めた。2か所を巡ってから買いものをして帰る計画である。
多摩よこやまの道という古道といわれている尾根道がある。今日はそこを少し散策することにする。
全長10キロほどの尾根道が整備されているので、簡単ハイキングとしてふさわしい。子供が小さなころはたまに歩いたりサイクリングしたりした思い出の道だ。
今日はその一部を歩くことに決めた。少し歩くとグッと景色が開ける。別世界のようだ。
地面は土のままの部分とアスファルトに整備されている部分とある。アスファルトの割れ目から多くのアリの巣がみられた。すぐ横には土のままの植え込みがたくさんあるのに、なぜここを巣に選ぶのか?踏まれる可能性も多いのに不思議である。
ずんずん歩いて第一目的地にたどり着いた。大昔の武士たちがいざ鎌倉を目指した鎌倉街道本道の近くにある古道跡だ。実はにわか古道マニアである私は、このような道があるとワクワクドキドキしてしまうちょっとした変態なのである。
本道である鎌倉街道の脇に地元の人たちが使っていたと思われる古道がそのまま残っているのだ。本道の方は大開発の中できれいに整備されている。ここは裏道のような存在で本道と並行するように通っていたと思われる。
歩いてゆくと大木の根が半分以上えぐられているのではないか?と思われる危険な木の下を通る。
風情のある道だ。いにしえの風景を想像してみる。なんでもここは新選組の近藤勇や土方歳三が山を越えた向こうにある小野路宿の道場まで出稽古に行くときに通った道なのだそうである。想像すると否が応でも気分が盛り上がる。
大きな杉の木が伸びているので古道を歩いているという気分を満喫。
ん?
待てよ。地面が石畳になっているではないか。いざ鎌倉時代の人たちが通る裏道にこのように大変な労力を費やす石畳を敷いた人がいたのか?引き返してもう一度、説明が書いてある石碑の場所まで戻る。
説明書きをよく読んでみるとなんだ、もう一段上の小山を登った部分に20メートルほどしか残っていないと書いてあるではないか!行くしかないね。
どこだ?ここか?
おお!あった!この先にあると書いてある。
通称、鎌倉裏街道。カマクラウラカイドウ、なんともそそられる名前ではないか。
裏側もパチリ。
ん?落ち葉を集めて入れる桶ではないか。
いや違う。
あった、振り返ると20メートルほどの道と言われれば道に見えなくはない空き地が確かに存在する。
歩いてみると、その道の先は崖になっていて先ほど通った石畳の道に落ち込んでいた。
振り返って反対側の終点は落ち葉入れの桶。これが全長20メートルである。
私はこの道に一人たたずみそっと目を閉じた。近藤勇や土方歳三が木刀を担いで出稽古に向かう姿を想像してみる。
うーん。うーん。うーん。
あーかゆい!
なんとヤブ蚊がなん十匹と私めがけて集まってきているではないか!勇ちゃんと歳ちゃんとゆっくり会話することなく急ぎみんなで退散してしまった。次は冬に来よう。
新選組隊士と別れを告げ、よこやまの道からちょっと逸れることにした。ショートカットして進むと今度は最近ニュースで騒がれた恵泉女学院があった。入学者の定員割れが続き、ついに募集停止の決断をしたそうだ。しかし学部によっては残るものもあるそうだ。
その向かいには国士舘大学のキャンパスがあり、その隣には明大中野の野球グラウンドがある。いろいろな学校が集まった場所だ。
よこやまの古道は突如普通の道に変身する。
橋の上から鎌倉街道の本道を見下ろす。ここはその昔、大勢の大軍が通った道なのだそうだ。本道を横目に通り過ぎ、ちょっとした住宅街をしばらく歩くとやっと古道らしい風景に戻った。
すでに消滅した道が多いがここはその昔、5差路だったそうだ。
突如現れたよこやまの道の説明石碑。ここだけ雑草などが抜かれて綺麗になっている。
古道の地面はアスファルトになった。
なんだか賑やかな声が聞こえると思ったら、開けた場所に人口芝のグラウンドが見えてきた。アメリカンフットボールの試合をやっている。国士舘大学だろう。
雰囲気のある道だが舗装されているので歩きやすい。
入れないように柵がしてある先に小さな碑のようなものが見える。ムムッ!興味をそそられる。
しかしなんと書かれているかわからないので先に進む。
土の道に戻ってまたまた雰囲気も良くなってきた。
この道は鎌倉時代よりもっと前にできた古道といわれている。
雰囲気が変わり綺麗な花が咲いているではないか。ハルジオンという花?
おそらく老木が朽ちる前に伐採されたであろう木。キャンプむけに乾燥させて薪にしたいなどと想像する。
その横には不法投棄されたタイヤ。スクーターのもののようだ。
おっと、本日第二の目的地が見えてきた。
最後のラストスパート。
着いた。
酒盛り、あ、違った、防人見返りの峠である。むかしむかしの大昔。歴史の授業で習った高句麗、新羅、百済の紛争が盛んだった頃、その紛争に巻き込まれた日本。なので今の北九州あたりに外国からの侵攻を防ぐ拠点を築くのだが、なぜかそこに置かれる人たちは、遥かに遠い東にある武蔵の国、今の東京・埼玉・神奈川などに住む人が多かった。
選ばれし人たちはこの、よこやまの道を通り膨大な時間をかけて島流しのような任務に就かなければならない。特に若者が多く、任期は3年。しかしその期間が守られず延長されることもあったようである。家族や恋人と別れを告げ、生きて帰ってこれるのか分からない未知の国へと旅立つ。悲しみに暮れながら旅の道筋で最初に景色が開けるのがこの場所である。国に残した大切な人を思い、振り返った場所とされているそうで万葉集の歌にもある。
振り返れば府中、国分寺、遠くは埼玉方面が見える。防人として旅立つ人の心境を想像すると胸が絞めつけられるようだ。無事に帰れる保証などどこにもなく、自分の足だけが頼りなので目的地に着くまでに命を落とす人もいただろう。故郷が見渡せるこの場所でたくさんの若者がそれぞれの想いを偲ばせただろう。
晴れた日は富士山も見える。
かくして今日の目的2つは果たされた。歩きながらこの後の計画も立てていた。春のあらしで真っ白になっている車を洗車をしてワックスがけをする。窓には撥水剤を塗り、ワイパー交換もしよう。余裕があればタイヤも夏タイヤに交換したい。来た道を戻るのはなんとなく嫌なので住宅街を抜ける道を選んで帰ることにした。
さきほどの防人見返りの峠を下から見返ってみた図。
この後オートバックスでワイパーを購入して自宅に戻った。洗車、ワックスがけ、窓の撥水剤塗り込み、ワイパー交換をしたところまでで時間切れ。妻と娘が車で出かけていった。私は試合から帰ってくる息子を待ちながら、夕方なのだが昼寝をしていた。
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長いブログになってしまった。
酒盛りをして見返りがもらえるような賑やかタイトルのブログだったが、内容はセンチメンタルなものになった。次にこの道を歩くときはもっと歴史の勉強をしてゆこう。
ビールをこよなく愛する皆さま。
酒盛りブログのはずが酒の話はいっさい出なかった。
そんな日もあってよいだろう。
酒を飲む方は絶対に手を抜かないけどね。
しかるに
今宵も
乾杯っ!
なのである。
ムフフフフ。




















































