【昨日のビール】
ロング缶:3本
レギュラー缶:1本
芋焼酎ロック:4杯
祝日だったのでビール飲み放題の週末ルールが適用された。身も心も満足なのだ。後悔なんて微塵もない。
カツオのたたき。ハルさんおすすめのにんにくスライスを小ネギと一緒に振りかけた。パンチが効いて旨さアップ!元気も出てくる気がする。
息子にカツオを取られた時用のブリ。端切れ品で半額になっていたので購入。小さく切ってあり食べづらかった。旨かったが。
前日残したアジフライ。我が家では人気がないので私が独占できる。これからも進んで購入しよう。
お久しぶりです。お豆腐さま。欠かせない一品。
揃ったのだねアテの衆。なんとなく質素に決めていこうではないかね。
一番搾りをグラスにトクトクシュワシュワ。
目を閉じてビールの神様に感謝。
本日も無事に晩酌ができることを。
乾杯!
ブハーッ!
庭の手入れやり過ぎたー!
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私は中学の三年間、野球部に入っていた。肩が強いのと足が速いのをかわれて外野全般を守っていた。打率は低く、レギュラーから外されることもたまにあった。
人間だもの。
それとは別に選抜陸上部というものに入っていた。入っていたというよりは入らされたという方が正しい。私が通っていた中学は坊主頭の学ラン中学校。昭和のテイストが色濃く残っている学校だったので先生が言うことがすべて正しかった。ちょっとでも逆らおうものならビンタ、ゲンコツ、正座、モノで殴られるなど当たり前の学校だったのだ。
春、一年に一度の体力測定というものがある。そこで短距離走やら長距離走やらハードル、走り幅跳び、高跳びなどいろいろなことをやらされる。私は運動神経が良い方だったので体力測定で良い結果が出ていた。とくに走り幅跳びは学年で一番になった。そうなると先生に呼び出されて陸上部に入るように勧められる。勧められるというよりは命令が下されるという方が正しい。断りなどしたらヤクザのような恐ろしい体育のグラサン先生がやってきて脅される。私は二つ返事で入部するのだ。
その学校には正式な陸上部というものが存在せず、全校生徒の体力測定結果を見て成績上位メンバーを選抜して臨時の陸上部を作るシステムになっていた。
なぜそのようなことをするかというと、中体連の陸上競技大会に出て、良い成績をおさめるためである。陸上部がないのだから中体連の陸上競技には出なければよいのに、なぜかそのような形で選抜陸上部を作って参加していた。そしてわが校はなかなかの成績を収める学校だったのである。
選抜陸上部に選ばれると私が所属する野球部とは別に曜日を決めて陸上部としての練習に出ることが許される。野球部と言えば1年、2年の頃は、ゴミ同然の扱いをされるど根性クラブ。先輩からのイジメで毎日ヒーヒー言わなくてはならない。訳もなく長距離を走らされて、そのうち走っている事を忘れられる。結局練習開始から終わりまでずっと学校の外周を走らされるようなことはザラだった。しかも野球のスパイクをはいたまま。鉄でできているスパイクでアスファルトの上をカチンカチンと走らされて、成長期の少年の骨には非常に悪影響だっただろう。
おっと脱線した。
そのような辛い練習があるので、私にとって陸上部の練習がある日の方がよかった。イジメられなくて済むからである。
陸上大会は大きな競技場を借り切って、市内の中学校全てが集まって行う。学校対抗形式だ。私は走り幅跳びの選手として出場した。1年、2年の大会は平凡な記録で入賞するのだが、地区大会まではいくことができなかった。市内大会の成績上位者が地区大会に出場する。
3年になっても私は陸上部に選ばれた。その年も走り幅跳びの選手として大会に出場するつもりだった。当時の記録で6メートルくらい飛べていたと記憶する。幅跳びの候補者は私ともう一人いて、ケガをした時のサブ選手として2名体制をとっていた。学年で幅跳びの成績が1番と2番の人が選ばれるのだ。私はいつもサブの選手より成績が良かったので正選手に選ばれていた。
市内大会まであと一か月といった頃だったと思う。練習をしている途中でグランド上に大声が響いた。私は先生と話をしている時だったと思う。
「やったー!でたー!でたー!」
走り幅跳びのサブの選手の声だ。私たちの方に駆け寄ってくる。
「6メートル超えた!超えましたよ!」
そいつは大喜びで駆け寄ってきた。私は半信半疑だった。誰も見ていない時に1人で飛んだ記録だからである。自己申告なのだ。私は先生がそんな根拠のないことで私と正選手を入れ替えるようなことはしないと思っていた。現にそいつがそのあとみんなの前で飛んでみたらいつもと同じ結果だったからだ。
大会の2週間前になると陸上部内で選手の正式発表がある。私たちはドキドキしながら、でも私が選手に決まっていると思いながらその発表を聞いた。先生が紙を見ながら読み上げていく。
「走り幅跳びは○○にでてもらう」
「エッ?」
私ではない苗字が呼ばれた。いつもサブだった選手の名前だ。私はショックだった。2年間正選手で出場していたのに最後の大会に出られないのだ。そして先生は続けていった。
「三段跳びはcorn」
「マジ?」
私は走り幅跳びと並行して三段跳びの練習もしていたからだ。跳躍全般の練習をやっていた。そしてその年の体力測定でハードルの成績も良かったのでハードルにも正選手としても出るように伝えられた。
私はずっと幅跳びの選手だったので3年もそうなりたかったのだが、虚偽報告選手が選ばれた。うぅ、、、しかもハードルなんて練習ほとんどしてない、、、
2週間後に市内大会が開かれた。まずはハードル競技に出場する。競技場のスタンドでは我が校の全生徒が応援している。私の名前を応援団長が叫ぶと生徒があとから一緒になって叫ぶ。緊張の瞬間だ。
撃鉄が落とされてスタートラインに並んだ選手が一斉に走り出す。応援の声はほとんど聞こえない。ゴールだけを見つめて懸命にハードルを飛び超えて行く。わき目もふらずに駆け抜けた。結果は8人中7位。何とも言えない成績だった。しょうがない。練習してないもんね。私は自分に言い聞かせて納得した。
次は三段跳びだ。慣れている跳躍競技なので多少気持ちも落ち着いていた。3本飛んで最も良い成績で争うルールになっている。私はハードルの汚名挽回とばかりに張り切って飛んだ。3本飛んだ結果はというと。何と優勝したのだ。ヤルネ。ちなみに虚偽報告幅跳び選手は入賞しなかった。何とも複雑な気持ちだった。
優勝したので私は地区大会に進出することになった。そこを勝ち進むと次は県大会に出場することになる。時期は8月の終わり頃だったろうか。野球の公式戦が終った直後で三段跳びの練習は全くできていなかった。
地区大会が開かれる大きな競技場に行くといろんな人が私に握手を求めてきた。
「あ、君がcorn君?よろしく」
不思議だった。なぜだろうと先生に聞くと地区大会の通過記録で私の成績がトップだったらしいのだ。またまたヤルネ。知らずのうちに有名選手になっていた。私は鼻高々で競技に臨んだ。今回も3本飛んで一番良い成績で競う。市内大会の通過記録はおそらく12メートルちょっとくらいだったと思う。
1本目。緊張のうちに飛ぶ。
結果は10メートル後半だった。
「あれ?」
出場選手全員がそう言った。私は練習ができていなかったらから踏切板になかなか足が合わなかった。次はやるぞ。
2本目。11メートル。
「あれ?」
まただ。
3本目。11メートル。
敗退確定。
トホホホ。
先ほど握手をしに来てくれた選手は13メートル以上飛んで大会記録などを出している人もいた。恥ずかしい、、、
ヤクザのような先生がやって来て言った。「野球ばっかりやってたからしょうがないな。俺はcornが県大会に行くと思っていたのだが、、、」
慰められているのかよく分からなかったが、私の陸上競技生活が終わったのは確かだった。
かくしてcornの中体連陸上競技大会は幕を閉じた。自慢話にお付き合いいただきありがとう。
なぜこんな話を書いたかというと今日は非常に腰が痛い。私は腰痛持ちなのだ。中学の頃に三段跳びをやって、そこで腰を痛めた。ずっと整骨院に通いながら練習をして大会に出たのである。その後も腰痛は治らず、鍼や電気など治療を継続したが完治しないまま現在に至る。40年の付き合いだ。もう諦めているので通院もやめた。
痛いときは同じ体制をずっととっていられない。仕事も座ったままが多いので調子が悪い時は定期的に立ち上がってストレッチしないとつらい。ひどい時は太ももが痺れてくる。そうなると寝ても起きてもずっとツラい。今日はそこまでの痛さではないが、昨日の庭の手入れが祟って痛さが増す。ちょっと後悔している。
腰痛が出るといつも思い出す中学時代の腰痛の原因と、ほろ苦い陸上部の経験。今日は自慢話でブログを終わる。
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東京は夜に雨が降るそうだ。今年は花粉が非常に多いとニュースで聞いた。雨は花粉症の方に朗報のようである。その場しのぎ程度のようだが湿って花粉の飛散が抑えられるようだ。幸い私はまだ花粉症を発症していない。時間の問題かもしれないが、、、
今夜はタイミングが悪いとランニングできないだろう。それはそれでよい。昨日は懺悔のランニングに出たからだ。
花粉の季節は花粉症ではない私だが、目が粉っぽくなったりすることがあるので予備軍かもしれない。できれば花粉症には一生ならないでおきたい。過去にくしゃみが原因で何度かプチギックリ腰を経験しているからだ。そうなると三段跳びの想い出が顔を出す。
ビールをこよなく愛する皆さま。
花粉症と三段跳びには注意が必要なのである。
あ、私だけか。
華金に乾杯。
ムフフフフ。





