【1/25のビール】

ロング缶:2本

芋焼酎ロック:3杯

 

25日の水曜日、多少酒量が落ちたようだ。理由はあまりない。飲んでるうちに眠くなったのが最大の理由だろう。後悔も何もないのである。

 

 

サバのみりん干し。最近よく食べる。焼きすぎないようにして頭から何からすべて食べる。旨し。

 

子供ナゲット軍。

 

子供肉団子軍。

 

冷やしトマト。サイズが大きかった。皿からはみ出た。

 

キムチくん登場。

 

大葉がたくさん余っているので豆腐さまに被っていただいた。お醤油で旨し!

 

揃ったね。写真を撮るときにサバが焼けているのを忘れていた。サバ無し写真になっているが、全てちゃんといただいたのである。

 

ビールをグラスにトクトクシュワシュワと注ぐ。

目を閉じて、ビールの神様に今日一日の無事を感謝。

 

乾杯!

ブハーッ!

 

寒くてもキンキンに冷えたビールをゴクゴク飲めて最強!

 

 

 

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先週末に懐かしい街を散策したのでそのレポートを記す。

 

20代から30代にかけてよく遊んだ街、下北沢から徒歩で経堂という街まで寄り道しながら歩いた。


小田急線の駅から下北沢の街に出ると、そこはどこなのか全くわからない景色がひろがっていた。複々線化により線路が地下にもぐってしまい、駅は全く違う形になっていた。

 

 

改札を出ると、昔の駅でいう新宿方面を向いた線路の上だった。一瞬方向感覚を失う。

 

まずは北口商店街を目指した。小さなお店がたくさん立ち並ぶ。よく買い物に来ていた場所だ。この日は土曜日ということもあり、人が非常に多かった。昔と変わらない人ゴミ。人が多いのは嫌いなのだが昔と変わらない風景を見ることができて何となくうれしくなった。

 

昔の駅でいうと、南口から出て新宿方面に線路沿いを歩いて最初の踏切を渡った場所に立つ居酒屋。2年前に不慮の事故で亡くなった友人と最後に飲んだ店だ。感慨深い。翌日はその友人の遺影に手を合わせに行くことになる。

 

東通り側を歩く。トラブルピーチというバー。遅くまで開いているおしゃれな店。二階に上がると店内にはレコードがびっしりと並んでリクエストした曲をかけてくれる。俳優、ミュージシャンご用達の有名な店だ。

 

にしんば。よく飲んだ店だ。ワハハ本舗の人たちもここでよく飲んでいたといっていたのをテレビで見た。

 

本多劇場。ビレッジバンガードもあるよ。ここは昔と変わらない。

 

昔の下北沢駅南口から小田急線の改札口があったであろう方面を振り返る。何もなくなっていて井の頭線の駅が見えるようになっていた。

 

駅前のビルは昔のまま。駅前劇場もあった。他にも街中をたくさん歩いたが割愛。

 

南口商店街の雰囲気は変わらなかったが、店はいろいろと変わっていた。

 

よく飲んだり食べたりした王将も間口を少し変えているようだったが昔と変わらない場所にあった。繁盛しているようである。


 

ここで下北沢の街を離れて松陰神社を目指す。下北沢では外国人の観光客が多かった。やはりコロナ禍の制限が解除されると賑やかになる。日本の経済的には良い動きになるだろう。

 


環七を横断して、昔友人が住んでいた家を探しながら歩いたがついにわからないまま終わってしまった。20年ぶりだから無理もない。

 

婚姻届けを出した世田谷区役所。老朽化で建て替え工事をしているようだ。この道は車で毎日のように通っていたので非常に懐かしい眺めだった。



 

松陰神社に到着。黒い鳥居は重厚で厳格な雰囲気を醸し出していた。思いがけず、今年の初詣でになった。

 

吉田松陰が処刑されてから数年後、長州の領地であったこの地に高杉晋作、伊藤博文らが亡骸を改葬し神社を創建したそうだ。

 

参道右側にある吉田松陰の像。明治時代に石膏で造られた像をブロンズにして復元したそうだ。

 

厳かな雰囲気漂う本殿。ほかの初詣で客も結構みかける。もちろん私もお参りした。

 

本殿横にある松下村塾レプリカ。私は萩の松下村塾も訪れたことがあるが、世田谷の建物のほうが小さく感じる。

 

奥に進むと、吉田松陰がこの世を去って50年後と100年後に建てられた碑があった。

 

 

外から眺める講義室。小さな部屋に多くの有望な若者が集い、国の未来を憂いて活動し、維新を成し遂げた。

 

ここにも松陰像があった。

 

横から眺める。屋根裏に続くはしご階段が想像を掻き立てる。長崎のグラバー亭にも屋根裏につづく隠し階段があり、坂本龍馬などの志士たちが幕府の目を逃れるための隠れ部屋へと続くといわれた階段を思い出した。松下村塾でそのような役目を果たしていた階段なのかは不明であるが。

 

ちょっとアップの画像。

 

講義室を真横から見る。この長机の前に松陰が座り、天才奇才の志士たちが講義を聴く姿を想像するとワクワクしてくる。

 

吉田松陰の墓へ続く小道。

 

墓の中には激動の世の中にこの世を去ったたくさんの人が眠っていた。

 

吉田松陰の墓。禁門の変の直後、この墓所は幕府によって荒らされたそうだ。

 

徳川家から謝罪の意も込めて灯篭が奉納されたようである。

 

長州志士の戦没者招魂碑。

 

社務所の裏には大きなキャンピングカーが停められていた。理由はあまり考えないことにする。

 

松陰神社を後にすると、トコトコ歩いて次の目的地である豪徳寺を目指す。豪徳寺とは江戸時代に安政の大獄で尊王攘夷の志士たちをバッタバッタと弾圧し、最後は自身が桜田門外の変で討たれて死んだ井伊直弼の墓がある寺だ。

 

何度か行ったことがある気がしていたが、境内の景色にまったっく見覚えがなく、初めて訪れたということを改めて知った。不思議な感じだった。

 

表門と思っていたこの門は裏門のようだった。境内は思っていた以上にものすごく広く、さすが徳川家の寺というような煌びやかな風景が広がっていた。


安政の大獄で処刑された吉田松陰の神社とは対照的で、なんとなく腑に落ちない感覚がする。

 

小さな六角堂があった。

 

参道を歩いてゆくと立派な狛犬?が上に乗った迫力のある大きな香炉が目に飛び込んでくる。

 

三重塔まである。スゴい。

 

これが本殿かと思ったが違うようだ。古くて存在感のある建物だった。何の建物なのかは調べなかった。

 

こちらが本殿のようだ。

 

ここにも六角堂。白くて存在感がある。

 

観光客も多く来ていたが、避けるようにウロチョロする。

 

豪徳寺は招き猫発祥の寺と言われている。たくさんの招き猫が並んでいた。

 

桜田門外で遭難した士の墓。

 

井伊直弼の墓。墓自体の大きさは吉田松陰と変わらないように感じた。

 


予想外に大きかった豪徳寺を後にする頃にはかなり疲れていた。重たくなった足でつき進む。

 

豪徳寺を出るとすぐに玉電の踏切がある。かわいい電車が目立つが、昔はチンチン電車だった。この踏切を渡ると経堂の街が広がる。私が青春時代を過ごした街だ。

 

駅は様変わりしていたが、かろうじて南口は私が住んでいたころの面影が残っている。

 

北口は驚きの変貌を遂げていた。大きな商業施設が建ち、バスのロータリーができていた。ここには昔、交番と小さな一杯呑みやと空き地しかなかったのに、、、

驚いた。


昔住んでいたマンション、キングカズの住むマンション、結婚して引っ越したマンション、全てこの目で見ることができた。行きつけのスーパーも健在だった。建て替わったり、新しく立ったりした見慣れない建物も多かったがタイムスリップを満喫できた。満足である。

 

このあとは久しぶりに会う友人と久しぶりに行くお店で楽しすぎる宴が開かれた。

忘れられない日になったのである。


この日、まる一日で距離にして15キロほど、歩数は23000歩を歩いた。

さすがに疲れたがその分、酒の量も増えたのはconrが選ぶ世界の七不思議のひとつに数えられた。

 

メツブシ、メツブシ。

 

 

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楽しかった思い出の日からあっという間に今日で1週間がたった。

早すぎる。

 

今夜は東京にも雪が降るようだ。

私の住む街には積雪の予報が出ている。

 

かの可愛いストーブ、フジカハイペッターズの一員として、正しい冬を過ごすためにフジカちゃんに身も心も温めてもらいながらキンキンに冷えたビールを飲むのが待ち遠しい。

 

今宵は華金。

もう飲むしかありませんな。

 

ビールをこよなく愛する皆さま。

今夜も乾杯なのである。

 

ムフフフフ。