*このシリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。

 

前回は、H・P・ウィルモット『大いなる聖戦・第二次世界大戦全史』(国書刊行会)

の訳出過程で、再校の段階に見られた“某”大の監(閑)訳者の誤訳検証の最初の例として、以下の原文と、監訳者の訳を提示した(今回は、問題となる箇所に下線を引いた):

 

原文:Tokyo was not blind to a Chinese nationalism that threatened Japanese interests and made impossible any attempt to mobilise Chinese opinion in support of those interests.

 

監訳者の再校での訳:日本の指導者たちは、中国の世論を、日本の権益を受け入れさせる方向に煽ることが不可能なことを忘れていた

 

その上で原文と訳とを対照して、訳注の誤りを指摘せよとの問を発し、ヒントとして、「少し注意して読めば、直ぐに気が付くであろうし、近現代史、殊に日中戦争あたりの歴史を多少通じているならば、訳が伝えている内容がおかしいことが分かるであろう」と述べておいた。

 

参考までに、筆者(山本)の元の訳と、初校段階での監訳者の修正訳を以下に提示する(問題となる箇所に下線を付す):

 

小生の元の訳:日本の中央は、中国の民族主義が自国の権益を脅かすものであることも忘れておらず、中国の世論をそれら権益擁護のために動員することなど不可能であることは悟っていた。

 

初校での監訳者の修正訳:日本の指導者たちは、中国のナショナリズムが自国の権益を脅かすものであり、それ故に自らの権益擁護のために中国の世論を煽ることなど到底不可能であることを忘れていなかった

 

些細とは言えない修正ではあるが、どちらでも文意は通っているであろう。「世論を・・・動員する」という小生の訳中の表現は少々不自然かもしれず、監訳者の修正による「煽る」の方が優れているであろうことは認めよう。つまり、この段階では監訳者は正に“監”訳者の役割を果たしていたと言えよう。

 

だが、監訳者は再校の段階での再修正訳はどうであろう?今一度掲げると、「日本の指導者たちは、中国の世論を、日本の権益を受け入れさせる方向に煽ることが不可能なことを忘れていた」となっていた。

 

問題は下線部分で、”was not blind”は”blind”でなかったこと、そして、この文脈でblindは「目に入らない」、つまりは「意識しない」ぐらいの意味で、その否定形であるから「意識しないわけではなかった」ぐらいの意味で、「忘れていなかった」と訳して間違いない。

 

以前小生は、「時には原文も疑え」と言って、いくつかの事例を紹介している(「ウィルモット『第二次世界大戦全史』訳出過程誤訳検証(42)原著の誤りを見抜け」参照)。この場合も、原著に誤りがあり、実際にはwas not blindではなくwas blindとすべき箇所だったのであろうか?

 

こういう場合には、史実や文脈に照らして判断するしかない。

 

まず、史実に徴してみれば、日本の指導者が中国の民族主義に意を払わなかった[blind]とするのは如何にもおかしい。中国革命の父、孫文と関わりのあった日本人が結構いたことは類書に記されているし、満洲事変・日華事変の段階で中国の民族主義の強さを指摘した人士は多かった。

 

それでも、原著者がそのような考えを抱懐しておらず、「当時の日本の指導者たちは中国の民族主義の強さを忘れていた」という見解だったならば話は別である。だが、そうは思われない。

 

文脈から分析してみると、上記の引用部分の直後には以下の一文が続いているのが分かる:

 

Like the warlords, Japan had no programme that could attract popular support and she hesitated to tap grass-root feelings for fear that emotion, once roused, might ultimately be turned against herself.(中国の軍閥勢力と同様に、日本は民衆の支持を取り付ける方策を欠いており、草の根レベルでの情感に根ざした運動を利用するのは、終局的にはそれが自身に刃向かってきかねないと危惧するがために、躊躇することとなったのである。)

 

もうお分かりであろう。「民族主義の強さを忘れておらず、忘れていなかったからこそ、中国の草の根勢力を利用することに躊躇していた」というように読めば、文意が容易に通じるのである。

 

つまり、not blindで誤りないのである。それを、折角初校の段階で正しく訳した監訳者は、この段階では“閑”訳者となって、全く反対の意味に訳して、史実にも沿わない内容にしているのである。

 

「木を見て森を見ざる」訳は誤訳に繋がることを「忘れてはならない」。